Hagex-day info

紅茶とお菓子について書いているほっこりブログです

たばこ大好き!

今日も元気だたばこがうまい。やあ、喫煙者のみなさん、今日もバカスカたばこを吸っているかい? たばこを吸って心臓疾患、肺がん、咽喉がんのリスクが喫煙者の数倍になってもお構いなしさ!
最近嫌煙厨とやらのおかげで、たばこ吸いには風当たりの強い世の中になってきていて、お父さんは悲しい。住宅ローンで苦しみ、片道2時間の通勤電車ヘトヘトになり、少ないお小遣いでヒーヒーいって、週に一回つぼ八でサイコロステーキを食べるのと、たばこを吸うぐらいしか楽しみがないオイドンから娯楽を奪わないで!
そんななか、たばこ吸い擁護のエッセイが毎日新聞に掲載されていた。
サンデー時評:たばこ排斥のテンポが恐ろしい(2006年4月12日)
す、すごいエッセイだ。一言でいうとたばこは文化を生むんだからゴタゴタいうな、このスットコドッコイ! といった内容だ。お、お父さんはモーレツに感動して、リスペクトして次のようなエッセイを書いてみたよ!

Hagex時評:ドラッグ排斥のテンポが恐ろしい
 あらかじめお断りしておかなければならない。この種の文を書くと、麻薬禁止運動に熱心な方々から非難の投書、メール、電話が殺到し管理人が迷惑するからで、
「できれば触れないように」
 と以前から注意されている。私もそのつもりでいたが、心のなかにうっ積したものが耐えがたくふくらんでいるのを放っておくわけにもいかない。
 お断りしたいというのは、私は麻薬禁止運動を当然のことと思っている。ドラッグの害は承知しているし、それによってジャンキーが少なくのもまったく異存ない。だから、あまり敵視しないでほしいというお願いでもある。
 ジャンキーというほどではない。きょうもアフガニスタン産のマリファナを二十本ほど喫って、これからもやめるつもりのない男のささやかな言い分をお聞きください。
 酒を飲みながら大麻を喫う。戦前の栃木では日常的な風景だった。しかし、最近の酒席では、
「私は大麻取扱者免許を持っているのですが一服きめて、いいですか」
 と同席者に、免許所持者ということを断らなければ、きめにくくなった。だめだ、と拒む人にはまだめぐりあっていない。しかし、
「私も前は麻薬中毒者でしたからね。まぁシャブでしたが」
 とか、
「どうぞ、ご遠慮なく。むしろエックスはいかが?」
 という声も次第に湿りがちだ。とにかく、日々肩身が狭い。
 一体、麻薬害論だけでドラッグ問題を片づけていいのか、としきりに思う。映画を観賞したときに、特にそうだ。
 先日、DVDでドラッグ映画の最高傑作といわれた「裸のランチ(Naked Lunchn)」を数年ぶりかで観た。アメリカの作家ウィリアム・バロウズの代表作を巨匠デイヴィッド・クローネンバーグ監督が映画化したものだ。
 年配の文化人ならほとんど観ている。舞台は1953年のニューヨーク。害虫駆除の仕事をしているウィリアム・リー(ピーター・ウェラー)は、殺虫剤が減るのが早すぎることに気づく。妻ジョーン(ジュディ・デイヴィス)が麻薬をやっていたのだ。
 ある日麻薬捜査官に連行されたウィリアムの前に巨大な虫が現れる。スパイ活動と報告、そしてインターゾーンの回し者という妻ジョーンの殺害を命じられる。ウィリアムは妻ジョーンの麻薬中毒を救うためムカデパウダーの薬をもらってくるが、結局ウイリアムテルごっこしている最中に、妻を射殺してしまう(後略)… というストーリーだ。
 麻薬が何度も小道具として使われる。タイプライターが主人公に接近するときに、
「頼みがある」
 とタイプライターが喋りかける。主人公のウィリアムは答える「なんだ」。「俺をタイプして欲しい。これから俺がいう文章を」。「わかった」。
 ウィリアムは麻薬の力に導かれ、理性は麻痺し視覚も確実ではないものになってしまう。観客はハワード・ショアの音楽とクローネンバーグの映像美にトリップする。並のサイエンスフィクションではない、トリップ描写のクライマックスだ。裸のランチは一九九一年の作品、全米批評家協会の監督賞・脚本賞、NY批評家協会賞の助演女優賞・脚本賞を獲得した作品だ。(「裸のランチ」を観たのはだいぶ昔だから細かいことは覚えちゃいないよ)
◇麻薬が醸しだすものは、言ってみれば文化なのだ
 ドラッグを抜きにして、この不朽の名作は存在しえない。麻薬がスリリングな雰囲気を盛り上げ、情緒てんめんの世界を作っていく。人間の微妙な内面をあらわす手立てとして、ドラッグは不可欠ではないか、と私は思っている。
 「裸のランチ」を観たからだけではない。当時もいまも、映画、テレビドラマで、役者が大麻くゆらし、コカインをストローで吸いし、ヘロインをあぶって吸引し、覚せい剤を注射器できめるとき、ジャンキーにはその気分がビビッドに伝わってくる。
 仮に当時、麻薬が存在しなければ、ウィリアム・バロウズは作品を作り上げることはできず、デイヴィッド・クローネンバーグによるこの映画は作られることはなかっただろう。ドラッグが醸しだすものは、言ってみれば文化なのだ。
「それはドラッグに気がつかなかった時代の話で、いまは人類の健康を破壊する麻薬こそ非文化の象徴だ」
 と麻薬禁止運動の方たちはいきり立つに違いない。その理屈もわかるが、ぜひとも「裸のランチ」をいま一度ご覧いただいて、文化論をかわしたい。
 さて、ドラッグ最新事情である。大久保や日暮里からプッシャー(売人)が次々に姿を消し、麻薬禁止の運動が急速に広がっていく。マジックマッシュルームが禁止され、渋谷の脱法ドラッグ店も減っていき、RUSHを買うのにも苦労するだろう。
 ジャンキーに住みづらい社会になっていくのはやむをえないことと観念している。それにしても、排斥のテンポがすごい。
〈社会のダニ〉
 などとヤユされたころはまだ愛敬があったが、昨今は憎悪に近い視線を感じる。
 先日、初対面の人に、私が、
「一服きめて、構いませんか」
 と尋ねたところ、相手は、
「ああ、喫われますか。よかった」
 とポケットからいそいそエクスタシーを取り出した。了解を取るのも気おくれする空気になっている。あたかも同病相あわれむような、奇妙な心理状態なのだ。
 それもこれも甘受しなければならない。だが、激しい憤りを感じたのは、厚生労働省の委託を受けて運営されいてる「薬物乱用防止「ダメ。ゼッタイ。」」サイトにあるゲームコーナーだ。「乱用薬物をやっつけろ 」というゲームは極端につまらない。特に「ダメ。ゼッタイ君」という安直なネーミングかつ安易なデザインのキャラクターについて、私は唖然として凝視した、こんなものにわれわれの血税が使われているかと… そのなかにマントルがギューギュー詰めでひしめき、どうみても地球にしか見えない。
 さすがにゲームはクリアできなかった。クソゲーもここまで冷酷に徹底すると、おまえたちジャンキーは、煙とともに消え失せろ、とせきたてられているようで、恐怖を感じた。
 アマゾンで、石丸 元章 という人の著書『SPEED スピード』(文春文庫)をみてみると、
〈コカイン、ハシシ、スピード、LSD…。取材ライターの“オレ”が巻き込まれた、薬物使用者の壮絶でクレイジーな世界。ありとあらゆる薬物にはまり、幻覚、幻聴に苛まれ、精神と肉体を病み尽くした悪夢の4年間を、狂気と正気の間を往復しつつポップな文体で綴る。新感覚スラップスティック・ノンフィクション。〉
 とレビューに書いてある。ジャンキーが屑だと理解できれば、麻薬は簡単にやめられる、と。(この本読んだのはかなり昔なので細かいことは忘れちまったな〜 間違っていたら、すまん)
 しかし、まったくの独断と偏見だ。麻薬をやる理由なんて考えるのも野暮だが、強いてあげれば、十も二十もあるし、人によっても違う。
 私がもっとも恐れるのは、ノードラッグを求める人たちから精神的柔軟性が失われていくことだ。禁止が強圧にならないのを願っている。

パロディって難しいな〜 もっとうまい人がいたら書いてトラックバックを打ってね。
追加:こんな嫌煙厨のサイトを発見したぞ! プンプン