禿山禿山(はげやま・はげざん)は、カリスマ・アルファ・ベータ(略)プロ・ブロガーである。
彼のブログの人気は、それはそれは、凄まじいものである。女の乳房を左手で揉みながら、右手でブランデーグラスを傾けつつ、左足で女性の髪を撫でながら右足で5分ほどタイピングしたエントリーであっても、公開するやいなや、たちまち大人気。はてなブックマークは30京ほどつき、アクセスも1那由多。あまりにもアクセスが集中するため、はてなやさくらインターネット、アカマイなどは、「禿山さん、エントリーを公開する前に、サーバー・回線を増強するため連絡をください」と請われる始末。しかし、結局はあまりのアクセス量に各社の機材、社員、組織が壊れてしまった。
破壊するのは足回りだけではない。禿山氏が「このラーメンうまいお(^o^)」とブログに1行書けば、言及されたラーメン店は3年先まで予約で埋まり、亭主は過労で倒れ、妻はイケメン客と不倫し、そんな両親を見て育った娘は「幸せな結婚生活とは何か?」と自分探しの旅に出て、バリでビーチボーイにナンパされて妊娠し、DVと貧困に耐えながら現地で暮らすという悲劇を生むだけだけではなく、「禿山氏がラーメンのことについて書いていたのでラーメンが食べたくなった!」という人間が続出し、近所のラーメン店が大混雑し、店主は混乱し1年以内に店をたたみ、インスタントラーメンを提供してい食品メーカーも需要が追いつかず、社会的に非難され、そして倒産していくのであった。
駆け出しの頃はもっと気軽だった。2ちゃんねるのまとめサイトからスタートし、mixiで見つけたアホを晒したり、コンビニのアイスケースに飛び込んだ写真をアップしたり、飲酒運転のツイート実況を行なってもそこまで炎上しなかった。しかし、いまはどうだ。私がブログに書いたりツイートしたことが、社会現象はもちろん地域紛争まで発生する事態となった。「ぐんまちゃんよりハッスル黄門の方が可愛いお(^_^)v」と書いた結果、群馬と茨城と紛争が起き、数百万の死者と数千万の難民が出たことは、彼の中では今も痛ましい事件として記憶している。
伝説のネットウォッチャーで師匠でもある禿田禿蔵先生は、次のように言っていた「キーを1回押す度にひとりの人生を変えると思え」。しかし、先生、私は1タイピングで100人単位で人が死ぬことがあります。
生涯貧乏であった師匠と違い、禿山氏はありあまるほどの富を得た。そろそろ、ブログも引退したいとも考えたが、やはりブロガーの性であろう。感じることがあれば無意識でキーを叩き、自身のブログ「ハゲちゃんねる(^_^)」に記事をアップしてしまうのであった。
あまりにも影響力があるため、彼も内容には大変気をつけていた。Googleアナリスティックのプログラムが過労死するぐらいのアクセス数を誇っていたが、禿山氏好きなことが書けないため、ここ数年欲求不満であった。
禿山氏ほどの達人になると、ルーターのアクセスランプの瞬きでネットのトレンドを知ることができる。
緑色のランプを見て「また、青二才が暴れているのか……」そう呟くと、パソコンを起動した。はてなブックマーク人気エントリーの半分は、彼の記事で占められていたが、その他は塵(ちり)塵(ごみ)芥(あくた)のような記事ばかりであった。なぜこのような塵塵芥記事がランクインしているのか疑問に思い、そして怒りを感じた。
塵塵芥記事をボロカスに書きたい。
多くの人は勘違いしているが、ボロカス記事執筆の難易度は高い。感情的に書けば勢いは出るが論理的でないただの悪口になるし、冷静に書いても死体蹴りにしかならない。敵の嫌がるウイークポイントを突きながら、嫌みにならぬようウイットを交えつつ、叩きつぶす勢いがないといけない。「愛を持ってボロカスに書け!」は師匠の言葉であるが、なかなか塵塵芥記事に愛を持つことは出来なかった。ただ、彼ほどのレベルになると、愛はなくても修飾術でなんとかなる。彼がボロカス記事を書いたら、あまりの名文に鶴は鳴き、犬は吠え、多くの人は感涙し、ハレー彗星は軌道を変え、言及先の相手は自殺をするか私刑で八つ裂きにされてしまうだろう。
この感情はどうやって処理すればよいのか? 匿名で書いても、文章からにじみ出る魅力とカリスマ性からバレてしまう。そうだ、直接会って文句を言うのはどうだろうか? そうだなかなか良いアイデアだ。禿山氏は早速相手の住所を調べて会いに行くのであった。