バック・トゥ・ザ・フューチャーが公開されたのが、1985年。あの公開から30年経ったのか! オイドンは福岡の中州にあった映画館「スカラ座」で鑑賞しました。当時は福岡にマクドナルドが数軒しかなく、中州に行って映画を看るときだけ買ってもらえる特別なフードだったな~
空中に浮遊するスケートボードや空飛ぶ車は販売されていませんが、バック・トゥ・ザ・フューチャーの公開当時から今を比較するといろいろなものが変わった。特に情報分野はひっくり返るぐらい変化した。
ガキの頃から高校生ぐらいまで、情報を手に入れ場所は限られていた。人、書籍、雑誌、新聞、テレビだけだった。福岡という文化過疎地区に住んでおり、情報に飢えていたから、新聞と雑誌はいつも舐めるように読んでいたが、情報を相互に結びつけることが難しかった。
こういうことだ。例えば死体写真家の釣崎清隆氏の処女写真集『danse macabre to the HARDCORE WORKS』の出版を知る。今なら、Googleで調べAmazonでクリック一発で手に入るが、当時はこの手の本を入手するのはハードルが高い。書名と著者はわかっても、出版社がわからないと本屋での注文が難しいのだ。ましてやこの写真集は書店流通していない可能性もある。
東京なら、専門書店にいけば実物があったり、スタッフに相談すれば情報を教えてくれるかもしれないが、何せサブカルチャーと並ぶ概念がない街だったので、気の利いた書店はない。しかし調べるソース元は書店しかない。どういうことか? つまり、当時販売されていたサブカル系の雑誌を片っ端から読んでいくのだ。そうすると、『HARDCORE WORKS』は「エヌジーパブリケーション」というマイナー出版社が出していたことを知り、電話番号も手に入れ、電話をかけて通販で購入することができた。この本は限定1000部だったので、売り切れる前に手に入れることができてよかった。支払い方法はもちろん「現金書留」だ。
新刊情報、新しい漫画家、ライター、イベント、映画情報、音楽情報は、すべて雑誌から吸収していた。しかし、そこで得た情報を「横に広げること」がなかなか難しい。先程出てきた、死体写真家 釣崎清隆氏。彼がどんな人物で、他にどんな作品があるのか、現在何をしているか……これがなかなかわからない。毎号関連雑誌を読んで、彼の情報が「掲載」されるのをひたすら待つしか無い。土門拳クラスの有名人だと、書籍がたくさん出ているので、読んでいくうちに名取洋之助、木村伊兵衛、林忠彦という人物を知り「横に」知識を広げることができる。ついでに、それから日本の写真史の流れを追えば「縦に」……森山大道・荒木経惟まですぐに知ることができる。
書籍を手に入れるのも難しい。本屋さんに注文して1ヶ月経って「在庫がなかった」と言われるのは日常茶飯事だったので、私はヤマト運輸がやっていた「ブックサービス」(現在は楽天の子会社)を利用していた。ここは、はがき、FAX、電話で注文し、在庫があればヤマトが自宅まで本を届けてくれたのだ。Amazonが社会インフラになりつつ現在では、「あたりまえじゃん!」と思われるかもしれないが、マイナー本を買うのに苦労した地域に住んでいた俺にはビックリ仰天のサービスだった。そして、このサービスを知ったのも「電話帳」に掲載された広告だった。
なぜ電話帳を見ていたのか? 当時は「古本」を手に入れるのも一苦労。その時、山野一の絶版本を探しており、市内の古書店に電話して在庫があるか聞いていた。その際に電話帳を見ていたのだ。東京の古書店には往復はがきで「山野一の『夢の島で会いましょう』はありますか?」と尋ねた。結果、どこも「在庫なし」だったが、店員さんが手書きで「山野一のこの本はありますよ」と書かれていて、嬉しかった。残念ながら、その本は入手済みだったが。
それがいまはどうだ? 絶版本も釣崎清隆氏の情報も、クリック一発でわかってしまう。便利な世の中になってしまったが、弊害もいろいろ出てきている。弊害はまた後日語るにしろ、30年前の自分にいまの現状を話すと間違いなく喜ぶだろう。「映画も漫画も小説もゲーム、全部ただで読める・見る・プレイできるんでしょう!? 天国じゃない!!!」 バカ、「全部」と言うとそれは違法行為だ。
以前、出展した文学フリマで、私の後ろのブースに釣崎清隆氏が出展していたのは良い思い出。