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紅茶とお菓子について書いているほっこりブログです

恋愛教の信者の末路

切ない話だ。
・今までにあった修羅場を語れ【18】

481 :名無しさん@おーぷん:2016/07/09(土)12:08:14 ID:Uxw
叔母(母の妹)は20だか21歳で結婚した。
叔母旦那は、叔母の高校時代の体育教師。
結婚即同居で、実家には要介護の曾祖父母、まだらボケの祖母、膿家脳な両親、出戻り小姑(姉)、家事手伝い小姑(妹)。
叔母夫婦を入れて総勢9人の大家族が築ウン十年の借家にひしめき合っていたという。
叔母の両親(=私の祖父母)はもちろん結婚に大反対したが
反対されればされるほど叔母は燃え上がり、「愛さえあれば苦労なんて何でもない」
「愛ですべてを乗り越えてみせる」
「お金お金って、お父さんもお母さんも汚い。こんな人たちが親なんて恥ずかしい」
と啖呵を切り、相手の家に転がりこんで入籍。
9人家族のうち働いているのは叔母、旦那、舅だけだったが舅は50代で早期退職してしまった。
家事はすべて叔母の役目。介護はかろうじて姑も手伝ってくれたがメインは叔母。
出戻り小姑と家事手伝い小姑は何もしない。
そのうち曾祖父母は亡くなったが、出戻り小姑が誰が父ともわからぬ妊娠。その子の育児も叔母の役目。
旦那は帰ってこなくなり、生徒と恋愛沙汰を起こすこと2回。
県内ではあるが僻地に飛ばされ単身赴任。
叔母は徘徊のひどくなった祖母の介護と、家事と、仕事と、出戻り小姑の子の育児に追われ
ストレスで80キロ近くに太った。
以上は叔母の愚痴と、私母の回想を繋ぎあわせた話。
叔母は現在50代で、すっかりDQNに育った小姑の子と、ボケはじめた姑の世話に憔悴しつつ
まだ「愛さえあれば苦労なんて何でもない」と言ってる。
自分の子はいない。
私と姉はそんな叔母を反面教師に育った。
姉は「あれは恋愛教の信者だ」と言い、「恋愛はいいものだと思うけどそれのみで目を曇らせちゃだめだ」と
姉妹で語り合って育った。

482 :名無しさん@おーぷん:2016/07/09(土)12:08:25 ID:Uxw
そんな姉が29歳にして結婚することになった。
お相手は固い職業で高学歴、収入も悪くない三男。
そしたら叔母がファビョった。「打算的すぎる」と。
「愛が感じられない、条件だけで選んでる、ロボットみたい、夫婦ってのはそんなもんじゃない、そんな冷たい結婚は認めない」と喚く喚く。
姉より先に姉旦那さんがブチギレた。
「僕と(姉)さんは愛し合っているし、何より尊敬し合える関係だから結婚を決めた。
失礼だが、恋愛は容易だし子供でもできる。
でも尊敬し合える相手は稀少で、何よりお互い精神的にある程度成熟しているからこそ成り立つ。
僕は結婚とは愛と尊敬ある男女間でするものと考えている。
理解してもらえないならそれは価値観の相違と言うしかない」
本当はもっと長いけど、要約するとこんな意味のことを言った。
横で母がボソっと「(叔母)ちゃん夫婦には、愛はあったかも知らないけど尊敬はなかったねえ…」
私はてっきり叔母がもっとファビョると思ったんだけど、意外にもおとなしくなって帰って行った。
その後叔母がまた母のところに愚痴りに来たんだけど、叔母は叔母旦那に「私を尊敬してるか」と聞いたらしい。
叔母旦那がなんて答えたかは知らない。
叔母が「30年無駄にした」「なんのために生きて来たんだ」って大泣きし始めたから。
ずっとウザい叔母だと思っていたが、可哀想な人だなと思うようになった。
でも私が結婚する時は、やっぱり叔母に知らせたくない。