幸せになってほしい。
・今までにあった修羅場を語れ【その24】
続きを読む941 :名無しさん@おーぷん :2018/01/14(日)06:01:32 ID:7Nb
おはようございます。
日本を発つので厄落としにきました。
当方、同性愛者。ついでにアラフォー。
毒親と毒親族が出てきて、なおかつレ〇プがある内容なので、気色悪いと感じる方は回避してください。
長い上に胸糞で、ほとんどが自分語りです。まとまりもありません。
子供の時の経験から男性がダメになった。私が男嫌いになった背景は父親。
幼い頃から私は発育がよく、小学4年になるころには160cmを越えていて、バストもⅮより↑だった。
こう書くと自慢乙ってここの人たちは言いそうだけど、問題はそんな発育のいい娘にブラも買い与えない親だった。
「小学生が色気づくな」と買ってくれと訴えるたびに殴られた。
父親のなかにはブラは大人の女がするものっていう謎認識があったのか、それとも人よりも早く大人の体になっていく娘が受け入れられなかったのか、私に女の部分を見つけるたびに暴言を浴びせてきた。
「将来はロクな大人にならない」「お前は体を売って暮らすようになる」「男に媚びを売るな」
具体的には上記の内容。
母親は父親の顔色をうかがうばかりで味方にはなってくれず、発育がいいってことは成長が早いってことだからすぐに服が小さくなって着られなくなるんだけど、「買ったばかりだろう、色気づくな」と買ってくれなかった。
私服はぶかぶかを着ていたんだけど、私が通っていた小学校は制服だった。
胸が大きい人はわかると思うけど、ブラウスの谷間に隙間ができるんだよね。インナーを着ておけと思うかもしれないけど、ただでさえサイズの合わない小さいブラウスを無理に着ているからインナー分の余裕なんてなくて、猫背になって胸を隠して歩く癖がついた。
無理やり着たブラウスが窮屈過ぎて学校でボタンがはじけ飛んだ時はトイレに立てこもって泣いた。見ていた男の子たちは笑うし、女の子たちも「ブラ買ってもらわないからだよ」とか「好きで出しているんでしょう?」って冷たかったし。
冬服はそれでもブレザーがある分マシだった。
一番つらかったのは夏。どうにか胸を隠したくてラップで胸をぐるぐる巻きにして登校してた。体操服でいることを認めてくれたから、サイズの小さい夏用ブラウスよりマシで、体操服で過ごしていた。
ただでさえ暑いのに、ラップなんか巻いているから脱水起こしてぶっ倒れた。
母親は脱水で倒れた娘に「ラップの無駄遣いをするな」と怒った。論点そこかよ、と今なら思う。
担任も保険医も何度もブラを買えと親に言ってくれたけど、私がブラを買ってもらえることはなかった。
そんな私を見かねた近所のお姉さん(当時高校生)が自分のお下がりをくれたことがあった。
胸のサイズが全然あってなかったからホックがとまらなかったけど、自分でゴムを買って来て胸囲を補正してつけた。
でも父親はそれを「小学生が色気づいた」としか思わなくて、従姉からもらったブラはすべてゴミ箱行き。
毎日男の視線が痛かった。顔だけは子供なんだけど、そのギャップがどうとかこうとかスケベ目的の男は頻繁に出没した。
これも自慢だと思われそうだけど、この手の言葉はそっくりそのまま私の地雷。物陰や車に連れ込まれそうになったり、いきなり「〇万でやらせろ」って言われたり日常茶飯事だったし。
父親は私がブラをするのも許さなかったけど、ムダ毛の処理も許さなかった。
女の子が足や脇の毛を処理するのは当たり前だと思うけど、やると暴言付きで体罰がくるからできない。
結局そのころから年中ぼーぼーにしていた。
そんななか、父方の祖母が亡くなった。
家族で通夜に出席して、祖母宅に泊めてもらっていた時に伯父の一人にレ〇プされた。
全身ボロボロの私に、親族が寄越した言葉は冷たかった。
「ブラもしないで男を誘っておいて」「あんたが誘ったんだろう」「小学生のくせに一丁前に男を誘うなんてねぇ」
こんな言葉を浴びせられている娘を、父親は庇わなかった。
自分がブラを買い与えようとしなかったことは言わず、「俺もあいつには困っているんだ」とほざいたのを今でもよく覚えている。多分一生忘れられない。
私に優しい言葉をくれたのは3つ下の弟だけだった。「お姉ちゃん大丈夫?」って。
祖母の出棺を見送らず、朝一で弟と二人で電車に乗って家に帰った。
これも祖母の見送りもしないダメ姉弟だと親族から責められたらしく、内弁慶な父親は帰宅するなり私たちを殴った。
レ〇プされたこともトラウマになったけど、その頃にはもう生理があったから、赤ちゃんできたらどうしようって死ぬほど怖かった。誰にも相談できないまま病院にも行くことも考えつかずに毎日怯えていた。