最後の修羅場気になるな〜
・今まで生きてきて凄く衝撃的だった体験 107度目
18 :おさかなくわえた名無しさん:2013/11/28(木) 08:55:40.84 id:zpEDKXkN
戦中、祖母が北朝鮮にいたこと。
友人に「北朝鮮の方が給料が良い」と誘われ、出稼ぎのような形で共に行ったらしい。
働いている最中の終戦発表、日本敗北により立場は逆転。
祖母いわく、朝鮮半島に北からロシア、南からアメリカが
入ってきた為分裂したとのこと(ホントか知らんけど)。
日本に帰る船が朝鮮側にしか無かった為、朝鮮行きの船に
乗れたは良いが船長は遠回りや他の岸に付け、その度金を
巻き上げられたらしい。
ちなみに、出稼ぎ前に祖母が働いていた場所は広島駅構内。
そのまま働いていれば私は生きてない\(^o^)/
19 :おさかなくわえた名無しさん:2013/11/28(木) 08:58:34.61 id:zpEDKXkN
あと、祖父は戦時中船頭さんだったそうだ。
運悪く水中爆弾に接触、船は大破。
数十人乗っていたが二人除いて皆死亡、内一人が祖父。
爆撃で片手片足骨折したが残った片手片足で泳いで帰ってきたらしい。
あの時生きていなければ私は生きてない/(^o^)\
戦争反対。
23 :おさかなくわえた名無しさん:2013/11/28(木) 10:43:25.77 id:zpEDKXkN
自分の父母祖父は幼少時死んだから聞けないけど、祖母はボケもせず元気です。
本当今のうちですね、遠方に嫁いだからあまり会えないけど。
祖母の衝撃話なら他にもある。上と比較すると小ネタだけど。
当時日本にキャベツが入ってきた。
幼少時母(自分から見ると曾祖母)が死んで、一家の炊事係だった祖母は
「何とも美味しくない食べ物だ」と思っていた。
駅構内のレストランで働き出した時、初めてキャベツをコロッケ等の
付け合せとして食べることを知り、衝撃を受けたらしい。
24 :おさかなくわえた名無しさん:2013/11/28(木) 10:52:00.70 id:zpEDKXkN
あとは祖父の武勇伝?祖母からすると修羅場かも。
近所に爆弾が落ち、あちこちの家が燃え出した。
火が自宅にも来ると思った祖父、家財道具を集会所まで一人で
担いで行った。
その後祖母帰宅、家財道具は無いし祖父も居ないでパニック。
結局火事は手前で鎮火したらしく自宅は無事だったらしい。
自分の修羅場は母親の結婚指輪を飲んだ事ぐらいだろうか…。
いつぞやにどっかのスレに書いたので割愛。