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紅茶とお菓子について書いているほっこりブログです

人間不信の連続

こういうとりとめのない書き方は好きです。
・今までにあった修羅場を語れ【その5】

895 :名無しさん@おーぷん:2014/10/28(火)23:13:25 ID:7EznUzZNn
うちの両親は私が中学入学するときに離婚した。
青天の霹靂だったよ。すごく仲が良いと思ってた。
母が言うには「子供にだけは喧嘩を見せたくなかったし気付かれたくなかった」そうで
必要以上に仲良し夫婦を演じていたんだそうだ。
喧嘩ばっかりの両親に育てられる子供はもちろん不幸だけど、仲良かったはずの親に急に離婚されるのもきつかった。
何が本当なのか分からなくなって親を含めて他人が全然信用できなくなった。
友達も先生も先輩も「優しい顔してるけど裏では…」とか考えちゃって。
それに気づいた母がずっと一緒に寝てくれて、何日も布団の中で色々話をして、やっと吹っ切れたかな。
でも今でも心のどこかで「楽しそうに私と話してるけど、本当はめんどくさい、帰りたいって
思ってるんじゃないか…」って思ってしまう時がある。
当時高校生の姉は最初は一緒に母のところに来たけど、数週間で父の元に行った。
理由は「貧乏暮らし耐えられない」だった。
これも人間不信に拍車をかけた。
母子家庭になって、初めて今までの自分の家が裕福なほうだと気付いた。
持ち物も食事も買ってもらえる文房具も一気に落ちた。
今思えば標準よりちょっと下になったくらいなんだろうけど、それまでが裕福だった分ショックだった。「うちはお金ないんだ…」って
高校生の姉は見た目や持ち物に気を遣う年齢だから、私よりショックが大きかったんだろう。
父の仕事はエリートと呼ばれる人がなる職種だと大人になって知った。
でも父は養育費も何も払ってなかった。
姉は父の所へ、母は不安定になった私のせいで思うように働けず、母の実家に身を寄せた。
母の家にはもう母の兄夫婦がいたので、私たちは実家近くの公団へ。
祖父母は色々援助してくれたし、私のことも気にかけてくれたので、母は何とかパートに出てお金を稼ぐことが出来た。
私もバイトして家計を助け、高校を出て就職した。

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死んだと聞いて飛んできました

オクで売ってるな。
・今まで生きてきて凄く衝撃的だった体験

715 :名無しさん@おーぷん:2014/10/28(火)15:10:01 ID:???
5年近く在宅介護していた義母が亡くなったあと、遺品整理していた時のこと。
小さい子供がいることを理由に5年の間で3回ぐらいしか手伝ってくれたことのない義弟の嫁さんが
遺品整理と聞いたとたんにすっ飛んできたのも衝撃だったけど、義母のお古のバッグや財布やスカーフを目の色変えて物色していたのは、ある意味怖かった。
義母は昔からブランド志向が強かったので(キャリアウーマンだったし)
確かに良い物を持っていたけど、ブランド物というだけで死んだ義母のものを身に付けるなんて私には出来ない。
実の娘だった義姉でさえ目をまんまるにして見てた。
あとで義姉に聞いたんだけど、義母の使い掛けの口紅やアイシャドウ(海外ブランド物)なんかも持って行ったそうだ。
2chに毒されている私は、オクででも売って小遣い稼ぎか?と思ったもんだが、ちゃんと身に付けてて更にビックリ。
逆にオクなら納得できるんだけどw

パクパク星人の義姉

貧乏症なのか、食いしん坊なのか。
・今まで生きてきて凄く衝撃的だった体験

704 :名無しさん@おーぷん :2014/10/27(月)22:33:41 ID:???
結婚して間もない頃、義実家の近くに大型スーパーがオープンした。
年末で遠方に住んでいる義姉も帰省してきてて、義母に頼まれて義姉とふたりでそのスーパーに買い出しに行った時の事。
義姉は目につく全ての試食を攻めるタイプ。(でも買わない)
私は逆にまるっきり買う気の無いものは試食するのは躊躇うタイプ。
と言うのも私はチキンなので、食べたら買わなきゃいけないような気になってしまうから。
そんなわけで、試食を見かける度に立ち止りパクパク食べる義姉。
早く帰ってやらなきゃいけないことあるのになぁ~とちょっとイライラしつつも
まだ子猫を被ってた時期だったのでw態度にも出せなかった。
やっと買い物を終えて駐車場に向かう途中に、パン屋さんがあった。
一応食パンも買っておこうかとパン屋さんに向かったら
店頭にクリームあんぱんが並んだカゴの横に、“中身はこんなんですよ~”って感じにふたつに切って
断面を見せたものがお皿に乗って置いてあった。
その片方を義姉がパクパク食べ始めたのが衝撃だった。
お店の人、ひょっとこみたいな顔になってビックリしてた。
以来、義姉と一緒に買い物に行くのはなんだかんだ理由をつけては断っている。

新婦じゃない女性が座っていた

勘助という言葉が自然に使われている(笑)
・今まで生きてきて凄く衝撃的だった体験

699 :名無しさん@おーぷん:2014/10/27(月)14:42:14 ID:???
板違いだと申し訳ないが、結婚式話。
今月従兄弟の結婚披露宴行ったら、会場がなんだか不穏にザワザワしてた。
会場の上座の方のテーブルに新婦さんらしい白ドレスの女性が座ってて、周りを数人が
囲んでなんだか話しかけてる。
「あれ、まだ披露宴始まってないのに新婦さんがもう会場にいるの!?」と驚いたら、なんと新婦さんでなかった。
従兄弟の会社の同僚女性。
従兄弟の会社の上司という人から話を聞いたが、彼女は女版勘助のような性格
の人で、従兄弟が自分にゾッコンと思って周囲にもそう言いふらしてたらしい。
しかし二人が交際している様子は無かったし、従兄弟に長い付き合いの彼女がいることは周知だったそうだ。
天然の従兄弟はそんな空気を全く関知せず、高校時代からの付き合いの彼女と婚約。
自分の部署の人間(女勘助含む)を全員披露宴に招待し、「この前衣装合わせしたんですけど
僕の奥さん、やばい程ドレス似合うんですよ」と散々惚気たらしい。
それがあの暴挙につながったのでは・・・と上司の方が言ってたけど、勘助な彼女もまだ
若そうで美人で、なんで顔も頭もそんなに良いとこない従兄弟にしつこくしたのかは不明。
結局彼女は会場を出されて帰り、披露宴はつつがなく終了。
二次会でその騒ぎを聞いたという従兄弟は「えーそうなんだ。見たかったなー○○さんのドレス姿もー」
と言いくさってたらしい(メル友になった上司談←女性です)。
しかし実際、新婦さんも可愛いドレスで良かったけど、例の彼女は全身にパールやシルバーステッチの入った
エンパイアの長ーーいトレーンお引きずりウェディングドレスで(どこで着替えた?)、実に見ごたえあった。
是非自分の式でまた着ればいいと思う。

初恋を奪ったA子が憎い

ゲスウォッチャーにはとても満足するエピソードなんだけど、実際にこんな友人がいると怖いよね。
・友達をやめる時 inOpen

744 :長文・1:2014/10/25(土)08:57:44 ID:bAZs7KqNf
小・中学の同級生A子のことが昔から苦手だった。
私は本を読んだり勉強する方が好きで運動は苦手、A子は勉強は得意じゃないけど足が速くて運動は何でもできるタイプで行動的。
気が合わないのは感じていて、A子も同じように感じたのか
あまり積極的に話したりすることはしなかった。
中2のとき、私は1つ上の先輩を好きになった。初恋だった。
あるときA子もその先輩のことが好きだと知った。負けられないと思って
勉強を必死でがんばり期末試験で学年1位になった。
でも先輩に私は何もいえず、A子も誰からか私が先輩のことを
好きだと聞いていたのか何もせず、何の進展も無いまま先輩は卒業していった。
私は中学を卒業して進学校→地元国立へ(親が実家を出るのを許さなかったから)
地銀に就職し腰掛け2年ほどして親の勧めで見合いをしてエリート公務員と結婚した。
見合いだったから恋愛らしい恋愛もなく事務的にデートしただけだった。
地元の最上級ホテルで披露宴を挙げた。費用だけで700万かかったが親が出してくれた。
職場から近いということもあって実家の近くに家を建てて住んだ。
私が結婚した相手はあまり家庭に興味の無い人だった。
あの初恋の先輩のことを思い出した。あの人と結婚できていれば
もっと、女として幸せになれたかもしれないと思った。
A子さえいなければ私は先輩に告白していたし、きっと先輩も断らなかっただろうに。
A子は私より格下の高校から地元の底辺短大へ進み
都市部へ就職したと聞いた。底辺だったから飲み屋で働いているのかと思ったら
いわゆるIT企業だった。
忙しいらしくほとんど地元には姿を見せず、実家は近いのに一度も会ったことが無い。
でも結婚はしていないそうで、私は勝った、と思った。

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念力で顎に傷

軽トラの運転手は修羅場だったろうな~
・友達をやめる時 inOpen

760 :名無しさん@おーぷん:2014/10/28(火)14:47:06 ID:jluY6Whha
(長くなります。フェイクありです)
小学校の時に凄く仲が良くて、家も近いからいつも一緒に登下校していたAって子がいた。
同じ中学に進学したら偶然同じクラスになって大喜び。
ところが入学直後のこと。その中学では学級委員の他に風紀委員、会計委員、保健体育委員など
男女ひとりずつあって、一年の一学期だけ選挙ではなく先生から指名されるんだけど
私は風紀委員に指名され、Aは何も指名されなかった。
どういう基準で選ばれるものなのか分からないけど、小学校の時は私よりAの方が成績良かったので
Aは納得いかなかったらしい。
で、その日から急にAが私に対して余所余所しくなった。
指名があった日、いつものように一緒に帰ろうとAの方に行ったら
近くにいた別の子とサッと帰って行って無視された。
次の日の朝、前日までと同じようにAが私んちに迎えにくるのを待っていたけど(私の方が学校に近い)
現れなくて、このままじゃ遅刻するからとギリギリになって走って家を出た。
Aは校庭で別の子たちと遊んでいた。
私もそれなりに負けず嫌いだったから、それならそれでいいやと思った。
そしたらAの嫌がらせが始まった。
美術の時間に三つ編みの髪の毛に絵具を練り込まれたり、体育に時間にバスケットボールを「パス」ではなく
明らかにぶつける目的で後ろから頭を狙ってきたり、陰湿だった。
やり返したかったけど、風紀委員という立場上できなかった。
幸いだったのは、クラスのみんなが割とマトモな子が多かったのか、Aとつるむ子がいなかったので
A自身がクラスでも浮いた存在になって行き、それが更に嫌がらせをエスカレートさせる原因になったと思う。
一番よくやられたのが後から追い抜きざまに勢いよくわざとぶつかること。
校内でも下校途中でもしょっちゅうやられた。

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本当に眠っているみたいだった

・今までにあった最大の修羅場を語るスレ3

196 :名無しさん@おーぷん:2014/10/29(水)00:49:27 ID:MDQkHWEtl
父親が自殺した時が最大の修羅場だったな。
うちは自営で、家から少し離れた場所に事務所がある。
ある日の夕方、父親から電話があって
「すまん今日は事務所に泊まる」
「えー分かった。じゃあ夕御飯、弁当にして持っていこうか?」
「いや近所のラーメン屋で食べるよ」
「そう?じゃあ思いっきり食べるわ。お疲れ様、じゃあ明日!」
「・・・うん、じゃあな」
これが最後の会話。だから鮮明に覚えてる。今思えば、声に元気がなかった。
翌日、父親がなかなか帰って来ず、遅くなるという電話もないので
父親の携帯に連絡しても応答なし。一時間ほど待ったけれど、折り返しの連絡もなし。
父親は持病持ちなので、まさか・・・と思い、走って事務所へ向かった。
事務所のドアには鍵は掛かってるけど、外には父親の車がある。
やっぱり中で倒れてるんだ!と思い、窓から中を覗いても真っ黒で見えず・・・
泣きながら窓を壊して、事務所の電気を手探りで探して灯りを付けた。
そしたら父親がいたよ、事務所のドアノブの所で
立て膝に近い形で、前のめりになって首釣ってた。
叫びながら父親の身体を触ったら、もうとっくに冷たくなっていた。
なんていうのかな、少し重たい発泡スチロールみたいな、固くて、重みはあるんだけどかさかさしたような・・すごく奇妙な感触だた。
よく首吊りは目が飛びてて糞尿垂らして~ってあるけど綺麗だったよ。
首には赤紫の痣と、首を吊った時のヘコミが残っていたけど(下着にも若干、染みはあった)
顔は安らかで、本当に眠ってるみたいだった。

パパ、また遊びに来てね

お父さん……
・今までにあった最大の修羅場を語るスレ3

186 :名無しさん@おーぷん:2014/10/28(火)12:14:21 ID:JLr85q3hT
幼児期の自分の勘違いが生んだ修羅場なんだけど…
小さい頃の思い出を遡ってみると、母親との思い出しか浮かんでこないんだよね
母は専業主婦で一緒にいる時間が圧倒的に長いから仕方ないんだけど
父は早朝に出勤して、自分が寝た後に帰ってくる事が多かったので
朝家を出る時しか顔を合わせることがなかった
そのせいで自分は父を家族と認識してなかったらしい
『パパ』と呼んでるおじさんはママと一緒に住んでるマンションに
毎日遊びに来て、朝帰っていってしまう人だと思ってた
そんな『パパ』が大好きだったので、毎朝元気な声で
「パパ~!また遊びに来てね~~~!!!!」
と見送ったものだった
当時住んでたマンションの廊下中に響いていたそうだ
「パパ、一緒に住んでるでしょ!毎日帰って来てるでしょ!?」
と母に訂正されても全く理解できなかった
幼稚園に入園するまでずっと言い続けていたらしい
お陰でご近所にあらぬ誤解を受けて、肩身の狭い想いをしていたと親父は今でも愚痴をこぼす
親父にとってスレタイってことで…

BuzzNewsの謝罪文が酷すぎる

先日、一緒にイベントに参加したライターのヨッピーさんが、バイラルメディア「BuzzNews」に著作権侵害されたあげく、自分のコンテンツを使ってスパムの道具にされていたことに怒り、抗議して完勝したようだ。
悪質バイラルメディアにはどう対処すべき? BUZZNEWSをフルボッコにしてみた

BuzzNewsはサイトで謝罪文的な文章を出しているのだけれど、あまりにも酷かったので赤入れをしてみた。

一部報道について


拡大画像はこちら

特徴としては
・「謝罪のフレーズ」を連発しており、結果として「謝罪している」感がない
・今回のトラブルに至った経緯が詳しく書かれていない
・改善したと書かれているが、具体例が書かれていないので信用できない
・日本語としておかしな部分が多く、信用低下を招いている

この手の文章を書くときは、過去・未来・感情の3つの要素が必要だ。

過去:問題を起こした経緯
未来:今後の防止策、改善点
感情:謝罪の意思表示

しかし、BuzzNewsの文章は過去の部分はさらっと触れ、未来については具体的に書かれず、感情部分は「お詫び」を連発してインフレ状態となっている。
みなさんも、謝罪文を書くときはこれを「ダメなお手本」として参考にするといいですよ。