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紅茶とお菓子について書いているほっこりブログです

ひき逃げにあって辛かったこと

びょ、病院は!?
・今まで生きてきて凄く衝撃的だった体験 その8

993 :名無しさん@おーぷん:2015/08/18(火)05:33:37 ID:zAz
スレ梅ついでに、ニュースを見ていて思い出した昔話をひとつ。
時系列で記憶を思い出しながらなので箇条書きっぽくなってしまうのは失礼。
20年ほど前、まだ自分が小学5年生だった時に、ひき逃げにあった時の話。
当時は毎月コロコロコミック(まだあるのかな?)ってマンガ雑誌を毎月発売日に買ってた。
それでその日もいつものように学校が終わって帰宅してから、自転車で10分ほどのところにある雑貨屋兼書店のような、昔はよくあった商店に買いに行った。
目当てのコロコロを購入して、歩道を走って帰宅途中、交差点に差し掛かったあたりで後方からやけにデカいエンジン音がして、?と思った次の瞬間に右後方から強烈な衝撃を受けて、道の左沿いにあったコンクリ壁に自転車ごと叩きつけられた。
何が起きたのかさっぱり理解できなかったけど、倒れ込んだ自分の視界を一台の原付が通りすぎて左折していったのと、ほぼ同時に交差点の対向車線で信号待ちをしていたらしいパトカーがサイレン鳴らしたことで、ようやく「あぁ、自分は今のバイクに跳ねられたのか」と把握した。
パトカーは拡声器で「大丈夫?聞こえる?そこにいて!」とだけ言い残して、すぐさま原付を追いかけていった。
でも混乱していた自分は呼び掛けには頷いたものの、どうすればいいのか分からず、そのまま財布とコロコロを現場に落としたまま、ひしゃげた自転車を押しながら帰宅。
血だらけで帰ってきた自分を見た母親がビックリして「どうしたの!?何があったの!?」と聞かれ、すぐそこの交差点で轢かれた、と告げたら、自分の応急処置を祖母と一緒にしてから、家を飛び出して現場に向かっていった。
見た目こそ血だらけだったものの、幸い怪我は大したことはなく、血を拭って全身の擦り傷をゴシゴシ洗われて(個人的にはこれが一番辛かった)、消毒薬を塗って絆創膏だらけになった程度で済んだ。
自宅で20分くらい呑気にテレビを見ていたら、母親が血相変えて帰ってきて、警察の人がお話があるから、ママと一緒に来て、と現場の交差点へ。
当時は分かっていなかったけど、要は現場検証が始まっていたらしく、事故当時の様子、どちらから来て、どこで衝撃を感じたのか、何か見たこととか覚えていることは無いか?など色々聞かれた。
バイクの人がノーヘルだったこと、髪を金髪に染めていたこと、虎?か何かの模様のジャンパーを着ていたことなど、我ながらあの一瞬でよく見ていたなと思ったけど、それらを話した。
まぁ話すまでもなくパトカーに乗っていた警官が既に知っていたんだけれど。
他にも偶然幼馴染みのお母さんが交差点の反対側に居合わせていたらしく、話を聞かれていた。
そのお母さんからは「飛ばされた後に起き上がって帰ろうとした自分を見て、止めようと大声で呼んだけど、全く聞こえていない様子だったが、赤信号の道を渡るに渡れず、そのまま警察が戻ってくるまで現場で待機していた」というような話を聞きました。
その後、全部で2回ぐらいだったと思うけど、警察署に呼ばれて親同伴で行って、担当の刑事?(私服だった)からまた同じようなことを何度も聞かれた後、事故届を人身にするか物損にするか等、当時の自分の理解の範疇を超えた会話を両親と警察官がしていました。
書いているうちに長文になってしまいエラーで怒られたので続きます。

994 :名無しさん@おーぷん:2015/08/18(火)05:36:40 ID:zAz
993続き
スレタイの衝撃的だったことが起きたのはこの時でした。
(といっても、お恥ずかしながらそれを自覚したのは成人後になった後なのですが)
父は当然人身扱いでと告げていたらしいのですが、その警官から「もう一度お話聞かせて」と自分だけ別室に連れていかれ、二人きりの状態で今度は違うことを聞かれました。
全てではありませんが、覚えている限り、『お怪我の具合はどう?まだ痛い?』
「ううん、大丈夫」
『何かオートバイの人に壊された物とかある?』
「自転車が曲がっちゃった」
『そっかー、自転車壊れちゃったかー』
こんな感じの会話をした後、また両親の待つロビーに警官と戻り、今になれば分かるのですが、警官の方が
「本人が怪我は問題ないと言っている、これでは人身にはできない」
「相手は暴走族、損害分を取り戻せればそれでいいのではないか?」
というように、頑なに物損処理に拘っていたそう。
(警官の言い分は自分には理解できておらず、後に父から聞いた伝聞です)
父の職業は、詳細は省きますが直接警察官とのやりとりもある司法関係業務の公務員で、地元警察署の措置に納得がいかなかったらしく、県警経由で相談もしたそうなのですが、上からの指導で再聴取になっても相変わらず「本人が大丈夫だと言っている」の一点張りで警察が譲らず、私の負担も考えて結局こちらが折れる形に。
当時父親が「手抜きしたいからってあれはひどい」と何度も言っていたのが印象的でした。
(意味は分かっていなかったけど)
その事故当時の記憶はかなり長いこと忘れていたんだけど、高校生の頃、地元警察署がやらかした不手際を、マスコミはじめ日本中から文字通りフルボッコにされる事件が発生した時に一気に思いだし、不手際の内容を考えると不謹慎ではあるのですが、叩かれている警察を「いい気味だ」なんて思ったりしていました。
それからまたしばらく経って、成人してからなのですが、街中を走るバイクや、髪を染めている人、爆音あげてる暴走族まがいの連中、そしてなにより警察官がやけに恐ろしくなってしまい、30過ぎた今でもやや緩和されてきたとはいえ、まだその感情が残ってしまっています。
(相手が明らかに無害と解るケースでも、恐怖心を感じます)
今はその警察署も建て替わってキレイになり、抵抗心も和らぎましたが、その前は免許の更新すら恐くてわざわざ遠くの免許センターまで行っていました。
事故以降は免許くらいでしか警察と関係のある機会も無いですが、現在の警察は何かと理由をつけて書類を減らすようなことはしていないことを祈るばかりです。
ちなみに、私を轢いた原付はパトカーを振り切って逃走。
犯人は公訴時効まで検挙されず仕舞いです。
ナンバー外しもしていたので、現在のパトカーのよよなドラレコも装備されていなかった時代には無理だったのでしょう。おそらく。