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紅茶とお菓子について書いているほっこりブログです

悪趣味は無趣味に勝る - ゲスの心と水芭蕉



先日、スカリフィケーション(身体をメスやナイフで切って模様を刻むアート)の展示会&トークショーに行ってきました。そこで、サエボーグさんの「第17回 岡本太郎現代芸術賞」展岡本敏子賞を受賞した「スローターハウス」を見て、こりゃすげぇ と思いました。


スローターハウスは、全身手作りのラバーで作られた、牛や豚、羊たちが殺され・刈られ・搾取される作品。見た目は可愛いけれど、内容はかなり気持ち悪い。

で、これらの作品を見ていたら、オイドンの黒歴史…… もとい、アートな気持ちがムクムクと思い出されましたので、ダラダラと書いていきます。

オイドンは高校生の頃、ゴシップの友「噂の真相」を読み、サブカルの友「ガロ」や「GON!」「ユリイカ」「月光」「夜想」「マーダーケースブック」「世紀末倶楽部」といった、読む度に偏差値が下がるような雑誌を愛読しておりました。こうやって見ると、モテないな。
そんな教科書先生から、死体、畸形、ドール、耽美、シリアルキラー、ドラッグ、大麻文化、宗教、女装、ラバー、SM、悪趣味としての左翼、カルトムービー、アウトサイダーアートといった、悪趣味一般教養を学びます。大学入試でこれらの知識を問われる問題がでたなら、結構いい大学に入れたと思います。

いま思うと、「そんなジャンルを好きな俺が好き」という、中二病的な要素があったのは間違いありません。しかし、それからン十年経ち、たまり漬けができるぐらいあった自意識も良い感じで抜けてしまった現在でも「やっぱりトレバーブラウンのイラストはいいわ~」(トレバーブラウン:日本に住んでるイギリス人変態イラストレーター)と思い、中野のタコシェで画集を買いまくっているので、「やっぱり良い物は良い、例えそれが悪趣味であっても」と再確認した次第です。高校生の頃から感性が成長してない、という指摘もあるかもしれませんが。

さてさて、私が高校生の頃、悪趣味が大好きだったのは隠していなかったのですが、友人からよく「禿田くんは、死体写真を見てニヤニヤするのは止めた方が良い」「噂の真相を読んでニヤニヤするのは止めた方がよい」と言われていました。
彼らが善意でアドバイスしてくれるのは、わかっていますが、趣味もない人間からそんな指摘はされたくねー 上から目線で思ったものです。こちとら好きでやってんだ!
でも、いまでもこう思うのです。悪趣味は、一般的な感性や趣味を経てから至るものだと。ピカソの絵画も、いきなりキュビズムから始まったのではなく、青の時代、ばら色の時代、アフリカ彫刻の時代を経てからキュビズムに突入するわけです。ああ、でもこのように書くと上から目線ですねやはり。でも真実だから仕方ない。
「君たちに、ボブ・フラナガンの良さはわかるか!」と、アドバイスをくれた人たちに言いたい。まあ、私もボブ・フラナガンの良さはわからないですが、その凄さはわかります。男性器に釘は打てないですからね。そんなボブも1996年に亡くなってしまった。レスト・イン・ピース

悪趣味の魅力は「素直さ」でしょうか。確かに中二病的な「俺ってすげーだろ」的な要素が入ってるときもありますが、それはたいてい鑑賞者の問題であって、作品・対象はピュアです。芸術作品にはハッタリや誇張というフリカケが必要な場合もありますが、悪趣味作品は金粉を塗る必要はありません。
次に「迫力」ですね。70年代の日本左翼の醍醐味は、その血で血を洗う内ゲバなんですが、暗殺や闇討ちが日常的に行われており、メキシカンマフィアもビックリです。当時、YouTubeがあったら、凄惨な現場がアップロードされていたんだろうな~ と思うと胸アツです。悪趣味カルチャーの「初めて触れたときのショッキングさ」は、初めて伝説の92を読んだときに匹敵します。

初期、インターネットは悪趣味の宝庫でした。爆弾の作り方、人の殺し方、死体写真、アングラ画像、フリークス写真など、テイストレスといった名前で1つのジャンルとして定着していました。ネットの場合は、どうしても「過激に、もっと過激に」となる傾向が強いので、最終的には「ショッキングなだけで、テイストレスさの味わいがない」というものばかりになり、またインターネットに無趣味な人間が多くなり、消滅してしまいした。

テイストレス系とは別に2ちゃんねるを筆頭に、ゲスッ子は増えていきます。しかし、それにもかかわらず、駕籠真太郎の漫画が売り上げた伸びた、ユリイカの増刊「悪趣味大全」にプレミアがついた、「マーダーケースブック」が高値でやりとりされた……なんて話は聞かないので、まだまだみなさん修行が足りないようです。

悪趣味も一通り見ると、飽きてくるのですが、そんなときに一般的な芸術を見ると、また違った深みや美しさを感じます。美しさを感じるには、醜さを知らなくても良いのですが、汚いものを知っている人間が、よりその美しさを感じるのは真理だと思うのです。