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紅茶とお菓子について書いているほっこりブログです

女になって戻ってきた

ええええ~
・何を書いても構いませんので@生活板 20

676 :名無しさん@おーぷん:2016/03/05(土)12:30:14 ID:gwd
うちは代々女が稼業を継いでる。
私には父親違いの10上の兄がいたんだけど私が物心ついた時から苛められてた。
無視はまだいいほうで、祖母に関してはサッカーボールキックとか普通にしてた。
中学卒業と同時に家出してから帰ってこなかった。
長女の私が継いでもう三年たつがある日、兄が帰ってきた。
女になって。女といっても手術してないようだった。
一番最初に産まれた自分にこの家を継ぐ権利があると話してきたけど、根本は「自分の子供や妻に残すものがない」ってのが本音で持ち家と稼業を継いで家族に大きな顔をしたいだけみたい。
私は一桁の年齢から8時間のお稽古とかしててやっと今がある。
放置子だと言われたらそれまでだけど自由だった兄が羨ましかった時期もある。
今さら毎日1日お稽古して身に付くものじゃないし、母も祖母も激おこ。
怒りが収まらなくて母と祖母が兄のアルバイト先を調べて文句をつけたらクビになったらしい。

不愉快なネイリスト

これは頭にくるよね
・その神経が分からん!その18

257 :名無しさん@おーぷん :2016/03/06(日)11:16:35 ID:nf2
今日行ったサロンのネイリスト。
私の結婚指輪&婚約指輪は、ゴールドなんだけど叩いたような質感でボコボコしてる。(画像は拾い画)
婚約指輪も普段使いできるデザインなので普段からつけてる。
夫の従兄弟がジュエリーデザイナーで、ダイヤの買い付けから制作まで全てしてもらった。
ネイリストが指輪を見て、「可愛いー」と言ったあと、「でも叩いて作るようなゴールドだからそんないいゴールド使ってないんでしょうね」だと。
婚約指輪のダイヤも少し大きめなんだけど、それについても「旦那さんの従兄弟だから知り合い価格でしょ?そうじゃなかったら絶対こんな大きなダイヤ無理だわ~絶対無理~」と。
私の夫の年収も何も知らないのに勝手に無理と決めつけるその神経、ほぼ赤の他人の結婚指輪を、ディスれるその神経がわからん。
ダイヤの値段を言ってやりたくなったが我慢した。
どんな小さなダイヤだろうがどんなに質の悪いゴールドだろうが、夫が一生懸命働いて、一生懸命考えてくれた大事な宝物だ!
勝手に人の大切な物を馬鹿にするなクソめ。
書いたらすっきりしました。
http://i.imgur.com/InZKpxK.jpg

式場予約後すぐ解約

わかれて正解。
・今までにあった修羅場を語れ【その17】

16 :名無しさん@おーぷん:2016/03/06(日)22:39:54 ID:VKP
婚約者と一緒に、ある式場を予約したんだけど、そのすぐ後、招待する人数や食事の内容について、彼女から「あの時、私は本当はこうしたかった」と言われ、「どうして、その時言ってくれなかったんだ」と大喧嘩になった。
以前から後出しジャンケンの傾向があった人だけど、もう我慢が出来ず、仲人を通して破談申し入れ。
結納とかなしで話を進めていたため、終わりも呆気ないものだった。
予約から3時間後、解約と前金払い戻しのために再び式場を訪れ、担当者から
「さっき、婚約者の方とお見えになった人ですよね?何があったんですか?」
と言われた時が人生最大の修羅場だった。

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母に丸投げ

父親最低だな。
・今までにあった修羅場を語れ【その17】

5 :名無しさん@おーぷん:2016/03/05(土)15:39:55 ID:qod
>>1乙です
祖母が50代でアルツ発症した。
当時母は20代、私は2つか3つくらいだった。
物心ついた時から母は祖母(母にしたら姑)の介護をしてた。
父は介護は一切手伝わなかった。私は祖母が寝た切りになってからお手伝いするようになった。
徘徊してた頃は危ないからって祖母には母が近づけさせなかった。
母はその頃祖母に付きっきりで、今思うと感謝しかないんだけど当時は寂しかった。
せめて父がいてくれたら違ったんだろうが、父はお酒の匂いプンプンで毎晩零時くらいに帰ってきて
家でごはんもほとんど食べなかったから他所の人みたいだった。
私が高3の時、母が癌になった。当時母40代。
明らかに具合が悪そうだったから病院行け行け言ったんだけど、介護があってなかなか出られなかった。
でも幸いステージ2だった。
帰宅して「母が入院する」と聞くなり父は「逃げる気か!!」と怒鳴った。
あんなに人間に対して幻滅したことはない。
それまでも期待してたわけじゃなかったけど祖母はあんたの母親だろうよ、とさすがに思った。
母は長年の介護でエネmeっていうより無気力人間になっていたから
叔母(母の妹)に電話して「助けて下さい」って泣きついた。
近所のおばさん(町内のボスママっぽい人)にも泣きついた。
もうなりふりかまっていられなかった。
誰でもいいから恥を捨ててすがらないと本当に母が死ぬ!と思った。
その後、叔母の助けを借りて、父がいない間に荷物まとめて逃走。
叔母家と同じ市内にある県立病院に入院した。
祖母を置いていくのは気が引けたけど、天秤にかけたら申しわけないけど母の方が大事だった。
それに祖母は母と違って手術しないと死ぬ容態ではなかったし。
父は「離婚する!介護放棄で慰謝料をもらう!娘の進学費用も出さん!」と激怒。
でも「癌の手術で入院」が介護放棄にあたるはずもなく
父の言い分は認められなかった。

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母が元夫に襲いかかった

酷い連中だ。
・今までにあった修羅場を語れ【その17】

10 :名無しさん@おーぷん:2016/03/06(日)09:54:07 ID:RNa
物静かでいつもニコニコしていたわが母が
元夫に「殺してやる!」と飛びかかった時が衝撃というか修羅場というか。
夫が元夫になったのは、嫁いびり放置で私が病んだから。
姑にやられた事は大したことないんだけど、アポなし訪問、作ったごはん強奪、元夫から合鍵もらって家探し(私の物だけ。夫の物はしない)
嫌味、罵倒、携帯に罵倒満載の留守電を一日に何件も残す等々。
元夫に訴えたが「それくらいいいじゃんw」で全部スルー。
約一年で病んだ。
今思い返すと当時は自分を病んでると思ってなかった。
ある日、元夫が何かこっちに言った時「それくらいいいじゃんw」て言葉がスラっと出てきた。
そしたら元夫が凄くビックリした顔をしたので面白くなって、以後ずっと
元夫が何を言っても「それくらいいいじゃん、それくらいいいじゃん」て繰り返し続けた。
ふざけてんのか!と怒鳴られても、ニヤニヤしながら「それくらいいいじゃんw」
と言い続けた。
元夫は最終的に気味悪がって近寄らなくなったけど
元夫に対してはもうその言葉しか出てこなかったから言い続けた。
姑は「キチガイ、出て行け、ヱッタ!」と留守電わんさか。
でも私が病んでたから同じく気味悪がってアポなし訪問は減った。
その代わり窓の外から泥投げられたりした。
私は泥掃除しながら「効いてる効いてるw」とか思ってた。病んでる自覚は全くなかった。
不思議なんだけど、元夫と元姑以外には普通に対応できて
仕事も特に問題なくこなせていた(事務で6割ルーティンなせいもある)。
当時の同僚いわく「テンションが高くておかしかったけど、すごく上機嫌なんだと思ってた」だそう。
一カ月くらいその状態が続いて、ある日親戚が果物を届けに来てくれた。
親戚は私を見てギョっとした顔して、「何か辛い事があった?」と聞いてきた。
覚えてないけど、私はすごくテンション高く返事をしたらしい。
親戚から親に連絡がいって、翌日の夜、アポなしで両親が来た。

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幼児に戻る夫

気持ち悪いな……
・ロミオメール 2

188 :名無しさん@おーぷん:2016/02/24(水)12:50:12 ID:GdK
元旦那が豹変した話。
結婚四年目、子供ができなかったので検査をしたら二人とも不妊発覚。
子供は諦めざるをえず、それから半年後くらいから元旦那がおかしくなってきた。
というか、幼児退行してきた。
ハンバーグ、エビフライ、とんかつ、カレー、焼きそば、そんな食事ばかりリクエストし始め、弁当には必ずふりかけをつけることを要求。
仕事から帰ったら服を脱がせて、と要求。
共働きだったけど、私だけ残業した日もそのまま待ってて、脱がせろと。
脳か、心か、病気じゃないかと心配したけど外では普通だし、でズルズルと約一年。
ある日、弁当に卵焼きを入れたのにノリタマふりかけをつけてしまった。
その日、会社を早退して帰ってきた元旦那は弁当箱を床に叩きつけて、冷蔵庫の卵を全部壁に投げつけて大暴れ。
私は帰宅してあまりの事に写真だけとって両家の親に送って、ビジホに逃げた。
そこから離婚までは全て弁護士を通し、二年近くかかって離婚した。
これが三年前、メールは半年前の。
次のレスがロミオメール、正確にはパソコンのメッセンジャーにきた内容です

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虐待という言葉を教える夫

これも気持ち悪い……
・ロミオメール 2

184 :名無しさん@おーぷん:2016/02/17(水)12:41:27 ID:Gwz
元旦那からのロミオ。
妊娠中にウトが他界し、良トメと同居になった。
ハイリスク妊婦だったので、大病院激近バリアフリーなトメ家は正直渡りに船な立地だった上、トメとも仲がよかったので同居はありがたかった。
元旦那も始めは喜んでたんだけど、無事産まれた娘が話しだしたあたりからおかしくなってきた。
元旦那は娘に必死に「虐待」という言葉を教え込んだ。
娘は嫌いな野菜が出てきたり、台風の日にお散歩をやめようと言うと虐待ー!と泣き叫ぶように。
元旦那とはトメと三人でも、二人でも、うちの親交えても、何回も話し合ったけど、「身を守る言葉は必要」の一点張りで、元旦那は娘には優しい虐待レベルの甘やかししかしない。
野菜を与えない、甘い歯みがき粉は味違いで4本もあり、テレビは1メートルも離れずに見ているのを止めない、など。
幼稚園でも虐待ー!と泣くと、指摘されるようになり、私と娘だけ実家に帰った。
その時トメから実はトメは継母だが、破談にならないよう隠せと元旦那が言っていたと聞いた。
結局娘の小学校入学直前に離婚、最後まで元旦那の主張は変わらず。
夫婦喧嘩を一度だけ娘に見られた時、娘が元旦那を庇って私に「虐待ダメ」と叫んだのは辛かった。
次のレスがロミオメールです。

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ペラペラポエムを書く暇があったら遊べ

高知のリコピン先輩が褒めていたブログがあって、その人のTweetを見たら、間接的にリコピン先輩を批判していてワラタ。リコピン先輩には声に出して256万回ぐらい読んで欲しいTweetです。

で、名もなきライターの人のTweetがこちら。

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