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紅茶とお菓子について書いているほっこりブログです

いつも外に出されていたAくん

いい話なので、釣り判定せずに最後まで読んじゃった。こういうエピソードは怖いな。
今まで生きてきて凄く衝撃的だった体験1

574 :名無しさん@おーぷん :2014/06/10(火)12:36:56 ID:???
ちょっと、いやかなり長い。すまん。
高校生の時に向かいの家には当時小学校低学年の男の子(Aくん)がいたんだけど、ここの夫婦がしょっちゅう外まで丸聞こえの夫婦喧嘩をやってて
その間外に出されてることが多かった。
それこそ雨の日も雪の日もって感じ。
ある時、台風が近づいてて外は物凄い強風だった日の夜8時頃、俺んちの父が帰宅したらAくんが外に立ってるのを見つけた。
で、帰宅後「Aくん、うちに連れてきた方がいいんじゃないか」と言い出した。
窓から外を見たら、Aくん何か歌いながら震えてた。
それで父が向かいの家に言って、まぁ部外者が大きなお世話だったかもしれんが
一応年配者として少々説教したらしい。
で、今晩はうちで預かるから話し合うように、みたいなことを言ってきたそうだ。
今だったら児童相談所の仕事だろうが、30年も前で通報なんてことは考えもしなかった。
うちには中学生の弟もいて、3人でトランプみたいな他愛のない遊びをしたが
打ち解けてくると案外人懐こいかわいいやつだった。
翌朝母親が引き取りにきたんだけど「夫が暴力的でこの子を殴ったりしたら大変だから外に出してる。
また迷惑掛けることがあるかもしれないがよろしく」という様な事を言ってた。
その後も何度か夫婦喧嘩があって、その度にAくんは自主的にうちに避難してきた。
俺より弟の方が特に喜んでて、弟ができたような気になってたんだろうと思う。
が、半年ぐらいか(もっと短かったかも)経って夫婦が離婚した。
というより奥さんの方が子供を置いて家を出て行った。
そんな暴力男のもとに子供を置いて出ていくってのが信じられんかった。
それからすぐに父子共に引っ越して行って、何の挨拶も無かったから
何があったのか、その後どうなったのかも分からなかった。
ただしばらくはAくんがどうなるんだろうと少し心配だった。(続く)

575 :名無しさん@おーぷん :2014/06/10(火)12:37:27 ID:???
それから時が流れて10年ぐらい前のことだが、弟から電話があって「Aくんを覚えてるか!?」と言ってきた。
もちろん覚えてる。が、弟からの電話に驚いた。
弟の会社での中途採用の募集に応じてきた中にAくんがいたらしい。
弟は人事部にいたので履歴書を見て名前で気が付いた。
今でいうDQNネームに近いものがあったし、名字もあまりないものだったから。
で、面接当日気を付けて見ていたら面影ありまくりで廊下ですぐ気が付いて
懐かしくて泣きそうになったけど耐えたらしいw
向うは全く気付かなかったそうだ。
残念ながら不採用になったが
履歴書の住所から俺と弟は一緒に訪ねて行った。(今ならアウトだけどな)
Aくんは結婚して可愛い奥さんと子供が2人いた。
一見して和やかと分かる家庭だった。
俺たちのことも思い出してくれたらしく大歓迎された。
それからあの日からのことを話してくれたんだが、父親の実家で暮らすことになったそうで、隣の市に住んでたそうだ。
そんな近くだったのかと驚いたが、もっと驚いたのは
俺たちが思ってたのと内情は全然違ってて
父親は暴力なんか一切ふるったことなかったそうだ。
母親がとにかく身持ちの悪い人で、男を作っては貢ぐための借金をこさえる人だったらしい。
食事なんかは手料理は殆どなくてお金がないのに惣菜ばかり買ってくる。
子供はコロッケ食べさせときゃ喜ぶと思ってるような人で
俺んちで食べたロールキャベツはどこからどうやって食べていいのか一瞬悩んだらしいw
Aくんのおばあちゃんは料理は上手だったらしいが、あまり子供向けの料理はしなくて煮物とかが多かったから
余計にうちで食べたものが印象に残ってるといっていた。(次で最後)

576 :名無しさん@おーぷん :2014/06/10(火)12:37:40 ID:???
そんな微笑ましい話も織り交ぜつつ話してくれたが、母親が出て行ったあとは、父は再婚はせず仕事一筋だったらしい。
だけどその父親が癌で闘病生活が長く、祖父母ももうなくなってて
嫁さんには育児があるから面倒見られるのが自分しかいなかったので
会社を休むことが増え、父親を見送った直後にリストラされたんだと言ってた。
弟は採用してやれずごめんと謝っていたが(元々そんな権限はないw)
笑って「こうやって訪ねてもらえたから結果オーライです」なんて言ってくれた。
その後無事再就職を果たし時々お酒を酌み交わすようにもなって
再会を心から喜んでいたが、一昨年父親と同じ病気でこの世を去った。
葬儀にはうちの父母も参列した。
母は料理の話を俺たちから聞いて泣いていた。
長文スマソ。
近所で子供の葬式があって、Aくんのことを思い出してしまったので
つらつら書いてしまった。
子供の頃のAくんより、大人になってからのAくんの方が長い付き合いだったはずなのに
何故か思い出すのは子供の頃の姿なんだ。
不思議だな。