以下のエントリーが話題になっている。
・星野源”嫌い”発言で阿鼻叫喚! こじらせ女子はどう出る?(トゥギャッチ)
この記事は「こじらせ女子」の定義がそもそも間違っているのでは? という指摘と反論がでている。
問題のエントリーでは、
そのことは知らなかったけど、”こじらせ女子”の定義が曖昧だからよくわからないわ。こじらせている女子そのものを指すのか、こじらせていることを売りにする女子を指すのか…。
と、書いているが、これはリサーチ不足。「こじらせ女子」という単語は、雨宮まみさんの「女子をこじらせて」を発端として、広がった言葉。こじらせ女子がいったいどんなものなのか? 雨宮さん自身が、インタビューで次のように答えている。
―― “こじらせ女子”とは、どんな女性のことをいうんですか?
雨宮さん:本を出した後「私もこじらせてます」っていう人の話を聞く機会も増えましたけど、たいてい見た目はどこにでもいる普通の女性なんですが、よくよく話を聞くと、“女性性”に自信が無いというんです。周りから見たら女性として特に問題はないのに、本人にはいろんなコンプレックスがあったりして、「自分は女です!」とストレートにいって生きていけない感じの女性が多いですね。――自己評価を低くしてしまっているということ?
雨宮さん:自分に対する“ツッコミ力”がありすぎるんですよね。自分のことを客観的に見すぎて、ついツッコんでしまう。自分を厳しい目で評価しちゃうんですよね。自分の中の目指す理想が高かったりして、周りの人と比べたら普通なのに、比較対象をハイレベルなものにしてしまって、「私なんて…」と思ってしまう人も結構いますね。
(話題のこじらせ女子 「森三中黒沢や眞鍋かをりも」と命名作家 NEWSポストセブン 2012年5月6日)
問題のエントリーは
でも、失敗するのが恐いから挑戦するのをやめて、挑戦しないのに理由をつけるために自分の弱さを持ち出しているというのは、本当にそうかもしれないわ。
そうやって逃げ続けた結果、根拠のない無力感を培っていくのよ。実際、みんな最初は弱いし、自信がないものよ。でも戦うの。弱くても戦うという生物として当たり前の行動を妨げるのが、自意識なのよ。
つまり、こじらせ女子は自意識の壁の手前にいる人たちのことなのね。
と定義して進めているけど、これは違うんじゃないかな。
そして、この記事を書いた小野ほりでいさんは、そもそも「こじらせ」を嫌っていた模様。以下本人のツイート。
自分の弱さとか繊細さに開き直って売り物にするの流行っているけどはっきり言って売り物にできるほどご立派な神経がある時点で十分に強くて図太いし、そういうことが大々的に肯定される背景には弱さや繊細さで人を傷つける行為は社会的優位性や傲慢さで傷つけるより高等だという身勝手な勘違いがある
モテないとか、友達ができないとか、個性がないとか、そんなのみんなそれぞれ苦心したり、努力して立ち向かってきて今日に至るのに、初めから解決する気がないだけの人が「私こじらせちゃってて〜」みたいな感じで武器にして、「こじらせてない人はいいですよね」みたいに羨むの、わけがわからない。
普通に生きてる人はすごいし偉いと思う。みんなが当たり前のようにやっていることでも自分がやると大変だし、当たり前だから顔に出さないけどみんな大変なんだろう。こじらせた人たちがなぜか誇らしげなのは、その大変さから逃げ出す人間普遍の弱さを、自分だけのものだと思っているからかもしれない。
小野ほりでいさんのエントリーに対して、いろいろな反応があったので、まとめてみました(敬称略)。
犬山紙子&瀧波ユカリ
件のこじらせ女子の記事がまだまだ拡散されてて、こじらせ女子への偏見がみるみる広まっていってるのを目の当たりにしてめちゃくちゃ悲しい気持ちでいっぱいだ。こうやって世間に誤解は広まって行くのか。書いてる内容が良いものとされるんだったら、ソースさほど確認してない記事でもOKって(続く)
Facebookで嘘の感動話をいいね!しまくるのとなんら変わりない行動だと思うんだけどなぁ。あと、マッチョな思想で世の中の問題が全て片付くものじゃないよね。様々なタイプに合う様々な解決策がある。そして、著者のその人に寄り添う、押し付けがましくない優しいコラムで救われてる人が実際
周りに沢山いて、その声を聞いてるんだよね。繊細に優しく治療してる所にガーッと来て、そんなんじゃダメだ!って言われても、それこそこないだ書いた、草食系男子の抱える気持ちと同じになるだけ。とにかく、こじらせ女子=こじらせてる部分を自慢したり売りにしている、という偏見なくなんないかな
@inuningen こじらせ女子という言葉自体が世間の波に翻弄されているようでしんどいですね。最初は当事者間で慎ましく使っていたものが他者によって広められて、「お前もお前もこじらせだな?」って押し付ける人達、「こじらせだからって甘えるな」と謎の説教する人達等が出てきてカオス…
2013-07-04 09:42:34 via web to @inuningen
@takinamiyukari こじらせ女子という言葉が、世間に蹂躙されているのがいたたまれないです…。実際とは違う、ファンタジーのこじらせ女子を仮想敵にしてフルボッコ。なんの意味もない行為ですよね…。
2013-07-04 09:55:26 via Echofon to @takinamiyukari
.@inuningen 「思春期」とか「お洒落」とか「中二病」に使われるこじらせと、「女子」に使われるこじらせの用法が微妙に違うことが原因かも。前者は何をこじらせているのか具体的にわかるけど、女子の場合は漠然としているので、良くも悪くも他者があれこれ想像する余地があるのでしょう。
2013-07-04 10:02:55 via web to @inuningen
@takinamiyukari そう言えば、負け美女もまさに、その隙の部分でフルボッコにあいました…
2013-07-04 10:15:01 via Echofon to @takinamiyukari
@inuningen あと「こういう人間がいたとしたら無責任/愚か/自業自得etcだと思いませんか!?」って言ってくるひとに対しては、そういう人間はいるかもしれないけどいないかもしれないんだからそんなこと言われても…ってなりますよね。フゥ
少年アヤちゃん
こじらせ女子叩きって、草食系とかイクメンとかと同じで、名前のついた現象をうまいこと揶揄したがるひとたちの餌食になっているだけというだけで、この呼称によって救われた女の子たちの前ではまったく無意味だと思う。
2013-07-04 10:02:05 via web
言葉のおかげで救われて、その言葉に選民意識みたいなものが宿り始めたとして、だったらなんだという感じ。長い戦いの末、やっと自分を示す言葉が見つかったと喜ぶ人の前で「はしゃぐな」なんて、誰が言えるんだよ。
2013-07-04 10:07:57 via web
セルフハンディキャッピングぐらいわかるよバカヤロー!
2013-07-03 12:11:11 via web
とりあえず、わたしの書いた内容について石を投げるのはいいですけど、書いてないことについて雰囲気だけで投げられても困るし、わたしに共感して「こじらせ女子」を名乗ってくれた人とかにまで誤解と偏見だけで石投げるようなのやめてくれないですかね、という感じです
2013-07-04 15:24:16 via web
「こじらせ女子は受け身」「努力しない言い訳としてのこじらせ」みたいなのは完全に誤解だし、少なくともわたしが接した人たちは、努力しても叶わないことがあると知っていてもなお、努力しないのは自分にとって恥だと思うような人たちで、その努力を「してない」と決めつけられるのは腹が立ちました
2013-07-04 15:37:45 via web
(念のため書いておきますが、努力してる人が偉くて、努力しない人は良くない、と言いたいわけではないです。努力なんかしなくても、生きる資格なんてもちろんあるし、追い込まれた人間に「努力すれば打破できるよ!」って言うのは暴力的なことだと思ってます)
2013-07-04 15:42:39 via web
能町みね子
まず第一に言っておきたいのは小野ほりでいは原典のananの文脈に全く当たっていない。あれは完全にインタビュアーの誘導があるのにそこを無視して孫引きで記事を書いている。徹底しておふざけしているならそれもありだが、本人の本音としか思えない記述が多すぎる
こうしてマジメに反論したとしても、「ただのオモシロ記事じゃないですか〜」といなされそうな感覚があの記事にはあって、それもタチが悪い。おふざけキャラクターで目くらましをして実は自分の本音をそのキャラに代弁させるという方法は私は個人的にものすごく嫌いです
ぶつぶつ書いてますが、本人にリプライしたら反応せざるをえなくなってめんどくさいだろうからリプライは飛ばしてません ツイッターで論争なんかしてもどうせグダグダになるしね…
「こじらせ」はかけこみ寺で、どこにも居場所がない女がそこを見つけてホッとする、休息の場所。「私はこじらせです!」と胸を張る人がいたとしたらそれは単にこじらせ女というマイノリティに同調できる余裕を示したいだけの、強者の立場にいる人。あの記事はこのニセモノがこじらせだと勘違いしてる
こべに
雨宮さんの「女子をこじらせて」をちゃんと読めば、こじらせ女子っていうのが「私、人から変わってるって言われるんです〜みゃは☆」というのとは全然違うってことが分かると思うんだけどな…。そんな余裕のある話じゃなくて、もっと傷だらけになって書いた本という感じがしましたけどね
追記
このコメントを見た小野ほりでいさんはツイートで以下のように述べています。
なんか力持ってそうな界隈が怒り心頭なのでガクガクしてるんですが、記事の冒頭に書いた「こじらせ女子の定義がこじらせていること自体なのかそれを売りにしている女子なのかによる」という部分があらかた無視されてる気がします。
大事なことなんですけど、こじらせてるかこじらせてないかで言ったら僕はこじらせてるし、言ってみればあの記事は自分のネガティビティに対する自刃です。徹底的にネガティブならそのネガ的解釈は自分のネガティビティ自体に向かないとおかしいというのが僕の考えです。
私はネガティブで弱い人間としてゴミのような人生を送ってきていますけど、ネガティブで弱い自分自身を許容しても、そのことに「別にずっとこのままでいいじゃない」と開き直ったらそれは弱さやネガと矛盾するし、人間として終わりなので、改善するかどうかに関わらず開き直ることだけは避けたいです。
自分や他人の弱さやネガティブさを受け入れろ!ということなんでしょうけど、「このままでいい」と放置してしまうのは受け入れているというよりはなかったことにしているのに近いと思います。本気で対処しようと思ったら、どんなに不利な状況でも現実として受け止めなければなりません。
たとえば僕は人見知りなんですけど、本当は色んな人と話したりできるほうが楽しいと分かってます。そこで、「別にいいんだよ、一生人見知りで」と言ってくれる人がいたら、精神的には助かるんですけど、でも、「このままでいい」と思って直るものも直さなくなったら、甘い毒を飲まされたのと同じです。
つまりは、弱くあること自体はその甘さで許容してほしいけど、「そのままでいい」という免罪符まで与えてしまったらその本人から何かが変わるきっかけを奪ってしまうことになるかもしれない。だから、弱さを許容するのと、弱くあり続けようとする怠惰を許容するのは別だと思うのです。おわり。
タイミング悪すぎる… RT @haraajukku: 小野ほりでいが女性陣から怒られる前に書いた記事です。【バグ通】怒っている理由がわからない女性への6つの対処法(1/2) - バーグハンバーグバーグ通信 - ウレぴあ総研 URL
と、コメントしています。ちょっと論点がずれている気がしますし、「女子をこじらせて」を読んでいれば、こんな事態にならなかったのでは? と思いました。ハイ。