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紅茶とお菓子について書いているほっこりブログです

ダメ父とダメ母

文章は読みにくいです。
・今までにあった最大の修羅場 £37

423 :おさかなくわえた名無しさん:2012/11/14(水) 18:53:15.24 ID:8RZe8jhi
死んだうちのクソ親父はケチだった。
祖父母からの財産やそれなりの企業の役職だったんでまあ裕福だったはず。
だから母が勤めに出ることを許さなかった。
俺を甲斐性無しと思わせる気か、という屁理屈で母の就労禁止。
今でいう経済的DVかな。
母への嫌がらせの為なのか、幼い頃の私は母から引き離されて育った。
10歳くらいで母の元へ戻された。
クソ親父は私の目の前で母をイビった。
実の親がそんなことやっていれば精神的にダメージがきそうなもんだけど、離れて育ったせいか
「自分の妻に何やってんだこのアホ爺」くらいにしか思わなかった。
クソ親父は母よりだいぶ年上で、私が戻されたのはちょうど親父の退職時。
暇に任せて母をいたぶった。
クソ親父にとり私は母を嬲るための道具。
そのために呼び戻したのかもしれない。
最初は何がなんだか分からなかった。
分からなかったが、クソが下司で頭がイカれてると思った。
私と母の目の前で書類を書いて、「お前は俺と血が繋がっとらんからな。家族は娘だけ。お前に一切金はやらんよ」
多分、母への嫌がらせ。
全部無関係なとこに寄附するとか、借金作って俺が死んでもお前が再婚出来なくしてやるとか、よくもまあ思い付くもんだと思うくらい次々嫌がらせしてた。
半年我慢したが私の忍耐力の限界が来た。
その日の朝、出来立ての朝食(クソ親父は出来立ての食事以外認めない。一分経過も認めない)を食べようとした。
箸の置き方が気に入らないとかそんな理由を言い出して朝食はおあずけ。
説教タイム開始。
飯は当然冷める。
今度は冷めた飯は子供の健康に悪い、お前は娘が可愛くないんだろうと母を責める。
もうアホかと。
冷ましたのはお前だ。
数分前の自分の行動も覚えてないのかと。
妻も娘も可愛がってないのは自分なのに責任転嫁すんなと。
クソ親父硬直。

425 :おさかなくわえた名無しさん:2012/11/14(水) 18:55:56.34 ID:8RZe8jhi
長年、逆らわない女しか相手にしてなかったんだろね。
アウアウ顔真っ赤にして怒り狂う。
怒り狂いすぎたのか、逆らわれてパニックになったのか痙攣状態。
やっと「お前!」と叫び立ち上がった途端倒れた。
悔しさのあまり倒れても震えてるんかなと思った。
すぐに救急車呼べば助かったのかもしれないけどね。
母はクソ親父を助け起こさなかった。
というより出来なかった。
クソ親父の指示なく勝手なことが出来なかった。
勝手に救急車なんか呼べばどうなるか。
長年かけて妻をそう躾たのは倒れてる本人だしね。
私はのんびり朝食を食べた。
一応、倒れたクソ親父に毛布をかけた。
母には、クソ親父が起きたら呼ぶよ、それから指示を仰ごうと言った。
母は、クソ親父が起きてOK出さない限り朝食は取れないし次の家事もできない。
いつも通り和室で正座待機。
私が毛布かける時も
「こんなことしてお父さん怒らない?」
とビクビクしてた。
私からしたら、なんで親切にして怒られにゃならんのよ、だった。
私の体格が良かったというのもあるけど、ほぼ初対面のクソ親父はどうみてもチビで鼠色頭のガリガリ爺。
ちょっと蹴ればバラバラに折れそうだった。
キーキー叫ぶ骸骨猿と表現したいくらい。
朝食を終えて、さてどうしようと考えた。
母は食事を勧めても、クソ親父の許可がないので頑として食べない。
いくら待ってもクソ親父は起きてこない。
このままじゃ学校遅刻というか、完全に遅刻してた。

426 :おさかなくわえた名無しさん :2012/11/14(水) 18:58:37.79 ID:8RZe8jhi
母は許可無しじゃ学校に連絡さえしてくれない。
仕方なく担任の先生に遅刻の連絡を自分でした。
父親が起き上がってこないことを言うと、救急車を呼ぶように言われた。
救急車を呼び私も乗って行った。
当然母は救急車が来ようが救急隊が入って来ようが、クソ親父の許可が無いことには和室から出られない。
救急隊と顔を合わせるのもNG。
後で担任の先生が迎えに来てくれて、母が家にいるのを見て驚いてたが、たまたま母の不在時に親父が倒れたと解釈したらしい。
クソ親父は手当てが遅れたからなのかは分からないが、ほぼ寝たきり。
上手く喋れない。
当然しっかり母へ指示出しが出来ないからか日に日に不満蓄積。
母は察しないというか察してもはっきり指示が無いからオロオロ。
私はバカがバカやってバカな結果だと思い、クソ親父に手を差し延べなかった。

427 :おさかなくわえた名無しさん:2012/11/14(水) 18:59:35.09 ID:8RZe8jhi
一年しないうちにクソ親父は死んだ。
死んだのに母が仏壇チラチラ見ながら、何をするにもクソ親父を気にするもんで、この世にいないのに存在感たっぷり。
だから出来るだけ遠くを受験して大学も就職も遠くして、母のところには出来るだけ帰らないようにした。
母娘としての会話をしたこともない。
情もないというより、母はまるでテレビ画面の向こうにいる女優に思えた。
どう言ったらいいのか、薄暗い部屋で喪服着てるのがはまり役て感じかな。
クソ親父に関しては、家での姿よりも、病室で手も口も動かせないのに、目だけ見開いて私を睨み付けてたのを思い出す。
私は立ったまま睨むクソ親父を眺めてた。
当然会話もなく、一番多く口をきいたのが倒れた日の朝だった。
母はいまだに月命日を欠かしてないらしい。
カウンセリングも連れて行ったが、変わらず。
母方叔母の
「あの人は不幸に酔いやすいタイプだったしね。娘時代からそうだった」
と言うのを聞いて、もう母に病院を探すのも進めるのも止めた。
海外駐在の話も受けて、もっと離れようかなと思ってる。