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紅茶とお菓子について書いているほっこりブログです

DV父親との死闘

いやーお母さんが目が覚めてよかった。DVは怖い…
・今までにあった最大の修羅場 £34

265 :名無しさん@HOME: 2012/03/07(水) 04:58:20.34 0
すごく気になる流れをぶった切って悪いけど投下。
父は私が物心ついた時からすごく癇癪持ちで突然ブチギレるDV男だった。
以前は母方の祖母と同居しており、酷い事態にはならなかったようだが、数年後にマイホームを建ててからは母方の祖母とは別居。
それから紆余曲折して父母私妹の4人で暮らし始めた途端、父のDVが激化した。
この時私は小学校低学年だったと思う。
父のDVは私の知る限り身体的・精神的暴力が中心で、理不尽な理由でブチギレた。
唐揚げの味付けが気にいらなければしかめっ面で一つずつ熱々の唐揚げを母に投げつけ
「俺に不味いもの(でも母は超メシウマ)食べさせやがってーふじこふじこ!!」とファビョったり
逆に父が料理した時にソースが天井に飛び散った(経緯不明w)ことに勝手にブチギレて
家中を怪獣のようにドシドシ歩き、バタンガタンと扉を閉め、怒鳴り散らしたりしていた。
とにかく何が地雷かわからなかったので、ずっとビクビクしながらの生活だった。
母が声をかければ殴り倒して首を絞め、私や妹が止めると余計に激昂して手がつけられないので
母はいつも私たちを2階の部屋に押し込めて一人でサンドバックになっていた。
私が中学生の頃にはDV周期がどんどん短くなり、癇癪を起しては暴力にプラスして
テーブルを窓から投げたり壁に穴をあけたり、私の部屋のふすまを破壊したり等、家を壊すように。
家を壊し始める辺りはもう私の進路にも激しく干渉するようになり、ここら辺からは最大の修羅場でした。

266 :名無しさん@HOME: 2012/03/07(水) 05:03:43.53 0
今までの癇癪にプラスして私の志望校(合格圏内・通学圏内・公立進学校)に対して
お前は絶対不合格、俺の希望する高校(偏差値微妙)にしろ、希望の高校に行けると思うなよと
父は一年中罵り続けた。多分その頃から父の癇癪について文句を言ったり、母をかばったり、外部に助けを求めに行くようになった私がめちゃくちゃ気にいらなかったんだと思う。
中学の後半辺りから、毎晩発狂する父のサンドバックになる母が見ていられず
受験勉強と並行して、私は書物やネットで父のDVの証拠を押さえる為に何が必要かに調べ始めた。
相変わらず母は私たちを2階に避難させていたので、母の携帯の録音機能を駆使して、階段の死角からや、実際私が止めに入った現場にこっそり携帯を持ち出してファビョリヴォイスをたっぷり録音。
散乱した部屋を撮影(携帯の写真で、しかも父がいることが多かったのであまり撮れず)
学校の先生等外部へDVについての相談(こっちは結局ほぼ頼りになりませんでした)
そして母が首を絞められた時、きっと母を助けられると信じて父の目の前で110番通報した。
でも通報は失敗で、録音していた父の暴言と母の悲鳴を警官に聞いてもらったが、母は刑事事件で訴える気はなかったし、民事不介入なのでと結局そのまま帰って行ったし
その後父は身体的な暴力こそ減ったけど、普段以上に殺伐とした空気が流れる日々が続いた。
近所の目はわかってたけど証拠もあったし、現場だったからきっと助けてくれる、母も助けを求めると、ちょっと調べたくらいで良い気になって幻想を抱いた自分

267 :名無しさん@HOME: 2012/03/07(水) 05:07:03.80 0
を恨んだ。
時が流れて母がDVから目覚めたのは、私が高校に進学した後のこと。
朝から無言でちゃぶ台を金属棒で殴り続ける父を横目に朝食を作っていた時、私たちは殺されるのだろうか?と考え始め、「ああ、逃げなきゃ」と我に返ったらしい。
幸い母のパート先から正社員にならないかと誘われていたことも後押しとなり、その日のうちに母方の祖母宅へ避難、そこからは弁護士を入れたり役所に問い合わせたり
して接近禁止令を出してもらい、溜まった証拠と診断書(避難直後に取った)を武器に
半年経たないうちにあっさりと離婚が成立、新しい生活を手に入れた。
多分この時が母にとっての人生最大の修羅場だったと思う。
私もあっという間に成人し、母は離婚後オシャレに気をつかうようになると
ダイエットにも成功してスタイルが良くなり、以前とは見違えるくらい若々しく元気に。
今度久しぶりに実家に帰省するので、なんだか色々思い出して書き込み。
コピペミスして途中切れてしまいましたorz
要点をまとめるのが下手で、長文になってすみません

268 :名無しさん@HOME: 2012/03/07(水) 05:31:31.53 0
頑張ったね。あなたは偉かった。
お母さんも目覚めてくれて良かった。
希望の高校へは無事入れたのかな。

269 :265-267: 2012/03/07(水) 07:07:27.11 O
携帯からですが>>265-267です
>>268
ありがとうございます
無事私の志望校に入学できました
直前までゴネられましたが、推薦であっさり通ってしまうと
あれはまぐれで、運が良かったんだろうと陰口叩きながらも
何故か俺の教育のおかげだ!と鼻高々そうに勉学について説かれましたが。

285 :265-267: 2012/03/07(水) 13:19:11.17 0
たくさんレスついててびっくりしました
父とは当時接近禁止言い渡されて以来、一度も会っておらず絶縁状態です。
親の老後の扶養義務って離婚後も発生するのかな?
不安になったので調べておきますorz
結婚前にDVに気付かなかったのか等の過去はよくわかりませんが、DV(というか異常性格?)の兆候は私が生まれた時からあったようです。
赤ん坊の私を父がだっこ→突然手をパッと離して地面に落とす→ギャン泣きする私
を何事もなかったように抱き上げようとする→母方祖母、激怒して父から取り上げる
など、その頃からおかしくないか?と疑いはあったけど、問題はあっても同居の頃は
母方祖母が父に懇々と言い聞かせれば理解を示していたそうで、これから家庭でもなんとかなる範囲内だろうと判断されていた様子。
母はしばらく専業だったし、昔はハネムーン期もあったのでラリってたかもしれないし、一時は反省するので今とは違って離婚に対する周囲の目は厳しかったんだと思います。

289 :265-267: 2012/03/07(水) 13:58:09.65 0
要求はねのけても大丈夫なのですね、安心しました。
もし私や妹に「扶養しろ!ふじこふじこ」言いに来ても「無理無理無理(ry」で通します。
首の骨が折れて半身不随とか、恐ろしいことにならなくて本当に良かったです。
骨太に産んでくれたおかげなのか、大怪我知らずの頑丈な女に成長しましたw
それではそろそろ消えます、私の話にお付き合い頂いてありがとうございました。