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紅茶とお菓子について書いているほっこりブログです

毒親との闘い

これは長い!
・今までにあった修羅場を語れ【18】

431 :名無しさん@おーぷん:2016/07/01(金)21:31:23 ID:zp1
吐き出し&浄化の意味で投下します。ものすごい長文失礼。
実母が毒親だと理解した瞬間が修羅場だった。
私の母は昔から何かにつけて私と姉弟を比べては「私子が悪い」と言ってくる人だった。
姉弟とケンカした時に悪者になるのはいつも私だった。
姉とケンカした時は「妹なのに我侭すぎる私子が悪い」、弟とケンカした時は「姉ちゃんなのに我慢できない私子が悪い」っていつも言われてた。
明らかに非が向こうにある時にだっていつも「悪いのは私子」と言われ続けてきた。
姉や弟が悪いって言ったこともあったかもしれないけれど覚えてない。
一番はっきりと覚えてるのが、小4の頃、弟が私のお年玉を盗んだ時。
どう考えても盗んだ弟が悪いのに「盗られるような所に置いてた弟が悪い」ときつく責め立てられ、弟は「こらっ、めっ!」程度の生ぬるい説教しかされず。
納得のいかなかった私は次の日、弟の財布からお金を盗んだ。
喚く弟に、さっき盗んだばかりの500円を見せて「私が盗ったんだよ。返してほしければ私のお年玉盗ったこと謝って」と言った。そしたら案の定母にチクる。
弟も私のように「盗られる所に置いてた~」と言われればいい、なんて思ってたけど(実際財布があったのは玄関先の椅子の上)、母は私をぶん殴り「弟のお金を盗むなんて最低! 私子は犯罪者だ!」と激しく罵られ号泣。それでも母の罵詈雑言は止まなかった。
父や祖母が駆けつけてきたけど、母から私が弟のお金を盗んだことを聞いて母と一緒に私を責め立ててきた。
更には、その場にいなかった姉にも晩ご飯の時に同じように吹き込んで、私はその日から3日くらい家族に泥棒呼ばわりされることとなった。同時にそれくらいの頃から、母はあまり私の事を気にかけなくなった。
母に褒めてもらいたくて一生懸命頑張ったつもりだけど、母は末っ子である弟を可愛がるばかりで私の事なんてほぼ無視。
相談にすらもまともに乗ってくれなかった。大体馬鹿にされるだけ。思う存分甘やかされる弟、褒めてもらえる姉が羨ましかった。
そのせいで私は未だに相談事を口に出すことが出来ず、一人でなんでも決めた挙句事後報告、という悪い癖がついてしまって、高卒で就職し上京した時にやらかして先輩や店長から激しく罵られることに。
その時、上記のお年玉事件の事を思い出して鬱寸前になり、辞めて実家に戻ってきた。
数か月で辞めたということでどこを受けても採用してもらえず一年間のニート生活。最高に惨めだった。
そんな時、母が声をかけてきた。母が立ち上げた職場に空きが出たから働かないか? って。
はじめて母に必要とされた気がして嬉しくて、そこにパートとして就職したんだけど……ぶっちゃけ上京した頃よりも酷かった。
母と一緒に事業を立ち上げた共同管理者はまさに男になった母。癇癪持ちで八つ当たり癖があり、自分の意に反することがあれば言葉で人に当たり、物や壁を殴って蹴って破損。
少しでも失敗すると客商売なのに、客の前で平然と怒鳴り散らす有様。
管理者が癇癪を起こすと、他の従業員さんたちには母がフォローを入れに行くんだけど、私にはゴミを見るような目で見下した挙句「貴方みたいな人間はいりません。」「今すぐお辞めになられたほうがよろしいんじゃないんですか?」と言ってくる始末。
その言葉に私が腹を立てて反論しようものならば「私はここの事業主ですよ! 公私混同しないでください!」と返してくるんだけど、その割には何かしてほしい時には仕事中であっても猫撫で声で「私子ちゃぁ~ん、○○してぇ~」と言ってくる。
納得がいかないながらも母の役に立てているという事実が嬉しくて続けてきた。

432 :名無しさん@おーぷん:2016/07/01(金)21:31:56 ID:zp1
おかしいと思いだしたのは、姉が飛行機の距離の場所に嫁いだ時。
姉も私と同じで、重要なことを事後報告する癖があり、私にも母にも自分が嫁ぐことを言ってきたのは義兄が迎えに来る2日前だった。
母は当然大激怒。「常識がなっていない!」などと散々罵ったが最終的には了承した。
というより、姉と義兄は既に義兄母(片親)と私の父にすでに挨拶を済ませ、荷物も感づかれないように少しずつ送り、行きの飛行機のチケットも確保していたため、了承せざるを得ない状態。
母が憔悴しながら「お母さんなのに相談の一つもしてもらえなかった…」と嘆く姿を見て自分は中学時代のことを思い出した。「まともに相談にも乗ってくれない親に相談なんてできないだろ」と内心思いつつ黙って聞いてると
「私子ちゃん、今度は私子ちゃんがお母さんを支えてくれる?」と尋ねてきた瞬間、背筋がぞっとした。姉はこうやってこの母親に依存されてきたのか、って。
それから母は情緒不安定になり、罵ってきたかと思えば次の瞬間には依存してきたり、職場でも公私混同を繰り返すようになった。
姉が去ったころから、職場の空気も悪くなり始めた。
管理者は家族との折り合いが悪くなり、家でのストレスを職場で発散するようになった。
それに耐えかねて従業員さん達が次々と辞めていき、残ったのは私と開業当初からいる先輩の二人だけ。
なのに私は何度頼んでも「自分の身内を正社員にすると角が立つ」という理由で正社員にしてもらえず、その割には正社員並みの仕事を要求し、サービス残業は当たり前。
先輩はとにかく仕事ができない。何度注意しても直そうとせず、同じ失敗を繰り返しては管理者がキレ、空気が悪くなり……の繰り返し。
この頃からずっと仕事を辞めたいと思うようになるも、私までいなくなってしまったら母はどうなるんだろう、と心配で辞めることが出来ず、パートのままずるずる。
2年前の暮れ、母が私に「10万でいいから貸してぇ~」と言ってきたことがある。手取り8万もない私にそんな金があるはずもなく断るとまあキレる罵る。
意に介さずその場はおさまったけど、2週間くらい経ったある日、母が突然電話してきて「あんたの高校時代の出席番号なんやったっけ?」と聞いてくる。
特に気にもせず教えてしまったのが悪かった。その番号、念のため作っておいて数年放置していたクレジットカードの暗証番号だったんだ。
その日の夜に言ってきたのが「私子ちゃんがお金貸してくれたから助かったわぁ~。」だって。しまった、って思って財布見て呆然。クレジットカード、勝手に抜かれてた。しかも「ごめんごめぇ~ん! ちゃんとお母さんが返していくからぁ~」と全く反省していない。
そんな母がまともにお金を返してくれるはずもなく。「ここに振り込むから」と指定した口座に母からのお金は一円も振り込まれることはなく、毎月督促状が来ては私が払う始末。
それを責めても「忘れてたー」だって。嘘つけ。お前のデスクに「今月●日までに口座番号xxxに振り込んでください。」ってでかでかと書いて毎日置いてた紙、丸めて捨ててるとこ見てたんだぞ。
でも、何も言えなかった。私、その頃にお客さんを骨折させてしまうという酷い失敗をした直後で、引き出されたお金もその人への慰謝料や治療費に使われると思ってた。
ところがその頃から母と管理者は毎日2人で外食に行くようになった。
もしかして、私のお金は2人の贅沢の為に使われているのでは…と疑念を懐くも、管理者の怒号と母の精神攻撃が怖くて言えなかった。

433 :名無しさん@おーぷん:2016/07/01(金)21:32:31 ID:zp1
昇給して羽振りの良くなっていく友人たちに対し、私はかなり切り詰めなければ生活できない。そのせいで実家暮らしを抜け出せず、友人たちと遊びに行くことはほとんどなくなった。
友人たちから母親の笑える話なんかを聞いていると、羨ましくてしょうがなかった。
私には母との思い出は全くと言っていいほどない。ましてや人に話せる思い出なんてあるわけがない。
友人たちはそれでも自分の母親の愚痴を言ったりする。そんな彼女たちに私の母の話をしたらどんな反応をするだろう。そう思っても、やはり怖くて言えなかった。
私のグループ内でのポジションはご意見番。相談事は私に言えば大体は解決するとまで言われたほど。誰も私がそんな悩みを抱えていることなんて知らないし、挙句の果てには「私子は悩みが無くていいよね」なんて言われる始末。
吐き出す場のないストレスを、2chでアンチ活動することで発散してたあの頃。私の闇は深かった。周りの人曰く「いつ会っても辛そうな顔をしていた」らしい。
そんな私を心配してくれたのが、幼馴染の親友。彼女には比較的心が開けていた。苦しかった中学時代の唯一の支えが彼女だった。
ある日「私子ちゃんも何かあったら相談してくれていいんだよ?」と言ってくれたことがきっかけで、どうしてだかわからないけど何かがぽろっと外れてしまい、母の事も仕事の事も全部話してしまった。
話し終わって「あー、これ絶対引かれてる。最悪だ」なんて思ってたら、親友は本気で私の事を心配してくれた。「辛かったね」って。
同時に彼女も私と似たような苦しみを持っていたことを明かしてくれた。失敗すると盛大にため息をつかれ、呆れられたこと、それ以来必死にいい子を演じてきたこと。私と同じように吐き出す場が無くて、私と遊んでいる時が一番の癒しだったこと。
「私子ちゃんに比べると、うちはかなりマシだね」なんて笑ってくれていたけど、彼女も辛かったんだろうな…と思うと居た堪れなくなって、別れた後車の中で泣いてしまった。
そしてちょくちょく悩みを吐き出すようになって今年、友人から「私子の母親、これに当てはまってると思うんだけど」と言われ、教えられたのが毒親の特徴(仮名)というサイト。
家に帰ってから改めてそのサイトを見て、毒親チェックというものをしてみて衝撃を受けた。私の母親、9割以上当てはまっていた。
それから母に対して嫌悪感しか沸かなくなった。今までさんざん私に「我侭」「我慢が出来ない」「自分勝手」「金遣いが荒いから貯金できない」「思いやりがない」と説教してきたけど、すべてブーメランじゃないか。
自分の非を一切認めずすべて私のせいにして、たまに「私が悪いのよぉぉ」なんて言うときは自分に一切非のない愛犬の死や弟の自殺未遂(と言っても死ぬ死ぬ詐欺)。
ちなみに愛犬を病院に連れていき、徹夜で看病して最期を看取ったのも、弟を説得したのも私。母はノータッチだった。
家の事にもノータッチ。地域の行事や認知症の祖父の介護、祖母が入院した時の家事一切は仕事の傍らすべて私がこなした。
それに対し私が苦言を呈そうものならば「お母さんはおじいちゃんに嫌われているから」「お母さん、お父さんとはもう顔も合わせたくないの」「おばあちゃんはお母さんに家事をされるのが嫌いなのよ」といって逃げる。
大変な時には仕事を半休にしてもらったり、急きょ休みをもらったりして家の事を一生懸命やってきたのに、「私が経営者だから融通を利かせてやってる」「私子ちゃんが頑張ってくれてるから、私がその得にあやかれるの」とドヤ顔で言ってきた。
完全に愛想が尽きた瞬間だった。そこから本格的に転職活動をこっそりと始め、その甲斐あって来月、遠方の職場に採用していただけることになった。一人暮らし確定。
母以外の家族にはもうすでに言ってある。明日管理者と母に、職場の場所は伏せたうえで突きつける。確実に別の修羅場になるけど気にしない。

434 :名無しさん@おーぷん:2016/07/01(金)21:33:14 ID:zp1
母の過去は全部聞いた。クレジットカードでブランド品を買いまくり、800万の借金を負って自己破産したこと、ありとあらゆる親戚に借金しまくってること、友人たちにまでも借金を申し込み、もう友人と呼べる存在がいないこと。
親戚が母に預けたお年玉をすべて使い込んだこと、挙句の果てには弟の奨学金を使い込んで、学費未払いで卒業できなくなるところだったこと。その奨学金を平然と弟に払わせてること。
9回も転職している上、そのうちの一つは祖母の勤めていた会社の社長さんからの紹介であったにも関わらず数か月で辞め、祖母の顔を潰したこと。
昔から蝶よ花よと育てられ、我侭放題だったこと。巧みな話術と社交性で相手に取り入るのが得意で、相手を怒らせてものらりくらりと交わした上で最終的には「しょうがないなぁ」で許されてたこと。
いざ罵られたらこれ全部突き付けてやる。もうこんなやつ母だとは思いたくない。
長文失礼しました。
毒親の洗脳マジ怖い。こんな母が普通だと思っていた自分が異常だったこと改めて思い知って吐き気がしてる。