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紅茶とお菓子について書いているほっこりブログです

父と母が亡くなりやってきた修羅場

文鳥がちょっと憎いけど……もとい、文章がちょっと読みにくいけど。
・今までにあった修羅場を語れ【その13】

479 :名無しさん@おーぷん :2015/09/20(日)22:37:28 ID:Zuy
無人のようなのでまったり書き込みます。
高校生のとき、ひと月の間に両親を相次いで亡くして喪主二回やったのが修羅場。
母親は先天的な心臓の欠陥からくる虚弱で、入退院を繰り返している人だった。
普通のサラリーマン家庭で育ったが、友達のように「じーちゃん」と「ばーちゃん」はいなかった。
推薦で大学が決まってボチボチ車の免許を取ろうとしていた時期に父が車の事故で他界した。
訃報を聞くなり母が卒倒。救急車で病院に運ばれそのまま入院した。
「祖父母」という存在がいなかったように、「親戚」もいなかったから自動的に喪主をやることに。
父の勤め先をはじめとした周辺への連絡、火葬の許可など、何から着手していいのかわからないままご近所さんたちの知恵と手を借りてどうにか通夜にこぎつけた。
喪主の席で坊さんの背中を見ながら思ったのは、「坊さんもタダじゃ経をあげてくれないんだなー」ということ。
預金の名義が父になっていたことから、父が亡くなったことで凍結。
相続の手続(?)が住むまで下せなくなっていて、葬式代の工面に大わらわした。
(大学進学を機に一人暮らしする予定だったので、両親があらかじめ私名義で積立をしてくれていたので、そこから支払った)
ここまでが第一の修羅場。

482 :名無しさん@おーぷん :2015/09/20(日)23:34:37 ID:Zuy
終わったかな??? 479の者ですが、被ったようなので潜っていました。
続き投下します。
第二の修羅場は通夜の席で起きた。
父はトラックと正面衝突をして亡くなった。
最初に警察が来て、父の過失で起きた事故だと聞かされる。
このときトラックの運転手(以下ト運)は軽傷だと知った。
ト運が、父が運転を誤って反対車線に突っ込んできたと証言したことから、警察は父の過失だと断定。
そのあとでト運の代理人が押しかけてきた。
ト運が父の遺族(つまり私たち)に対し慰謝料を請求すると言っていた。
葬式代の工面だけでも大わらわだった私呆然。母は入院したままだし、兄弟もいない。孤立無援の状態だった私を見かねてご近所さんが割って入ってくれて、その話はまた改めてするようにと言ってくれた。
ト運の代理人、納得しかねる様子だったがとりあえずまた来ると言って帰った。このとき名刺を置いていかなかったことをご近所さんは不審に思ったらしい。
どうにか通夜が終わるって頃に、今度はト運本人がやってきた。
お悔やみも言わず、父のせいで自分は仕事に行けなくなった。治療費を含めた慰謝料を寄こせと騒ぐ。
ト運からすれば、高校生の私(小柄なおさげ)が喪主ならいくらでも払わせることができると思ったのだろうか。罵倒混じりの恫喝をされた。
この当時はまだ自宅葬がほとんどで、父の通夜も自宅でやっていた。
参列者も少なくなっていたが、私を気遣ってご近所さんが何人か残ってくれていた。
そのうちの体格のいいおじさんがこの時も割って入り、慰謝料や治療費は父が入っていた車の保険屋に連絡するよう言ってくれた。
ト運はごねたが「また来るからな、その時までに金の用意をしておけ」的なことを吐き捨てて帰って行った。
この一連に私はすっかり疲れてしまって脳みそ半マヒ。正直何も考えられなかった。
ご近所さんがいなければ、どうなっていたかわからない。
残っていたご近所さんたちが、ト運や先に寄こした代理人の様子がおかしいと男性何人かで懐中電灯を持って事故現場に足を運んでくれた。
ご近所の奥さんたちが私についていてくれて、言われるまま何か飲んだり食べたりしていた。
そのころ事故現場に残っていたブレーキ痕から、事故の真相がト運の証言とまったく違うと知った男性陣がその場で警察を呼んで現場検証のやり直しをさせていた。
結論から言うと、父が運転していた車に突っこんだのはトラックのほうだった。
その後、ト運と代理人としてやってきた男が捕まった。
代理人としてやってきたのはト運の勤め先の会社の人間で、トラックの保険が切れているため芝居を打ったと自供。ト運の居眠り運転が原因でカーブに気づくのが遅れたことで起こった事故だったこともわかった。
ここまでが第二の修羅場。
警察は信用できないとこの時に学んだ。
ご近所さんが不審に思って事故現場に足を運んでくれなければ、「死人に口なし」で父の過失としてすべて片付けられていただろう。

483 :名無しさん@おーぷん :2015/09/20(日)23:52:43 ID:Zuy
第三の修羅場はそれから一週間もしないうちに起きた。
おしどり夫婦だった父が亡くなって、入院していた母がそのまま他界。
後を追うように心臓の発作で亡くなった。
父の遺品整理もまだできていない家で、今度は母の葬儀をした。
このときもご近所さんにずいぶんと助けてもらった。
天涯孤独になった私だが、第四の修羅場は遺産よこせとやってきた母の母。母方の祖母。
なぜ私に「親戚」も「じーちゃん、ばーちゃん」がいなかったのかよくわかった。
はじめて会った母方の祖母は、テンプレ通りの毒だった。
可愛い娘をさらって行ったと父を罵ったが、その可愛い娘の仏前で手を合わせようともしなかった。
少なくとも、普通のばーちゃんは両親を亡くした孫に「高校生が持つには分不相応だから遺産はこっちに寄こしなさい」とは言わないと思う。
自宅が借家ではなく持ち家だと知るなり、「ここに住んであげるからアンタはアパートでも借りなさい」とも言わない。言わないですよね???
実の祖母らしき人物に、危うく身ぐるみを剥がされかけた。
大学進学を控えていた当時の私には戸建の家の管理はできず、泣く泣く売却。
父の遺産やら保険金やら何やらで高校生が持て余すほど大金を手にしたことであれほど親身になってくれたご近所の一部が豹変したのも修羅場。
あの一か月でかなりの人間不信に陥った。
せっかく推薦で入れた大学にも通えなくなるのではと危ぶまれたが、当時の担任や教頭先生の助けを借りてどうにか卒業。
担任が進学した先で住むアパートを探すのを手伝ってくれて、保証人になってくれなければ、住むところを探すのも大変だったと思う。
若い女の子が大金を持っているのは危険だから通帳ごと貸金庫に預けなさいと知恵を授けてくれた教頭先生もありがとう。
どこから漏れたのか、「小金持ちの身寄りのない大学生」に寄って来る人たちが後を絶たなかったのも修羅場といえば修羅場。
豹変したご近所さんあたりか、母の実母さんあたりか、リーク主はわかりません。
私自身は人間不信の塊だったので自分から「実は」何て言わなかったし、ブランドで身を固めたお嬢様ってわけでもなかったです。