Hagex-day info

紅茶とお菓子について書いているほっこりブログです

別人になった

オイラは長年ホラー映画が苦手だったんだけど、三池崇史監督の「オーディション」を観たら、それは怖くて怖くて、あまりに恐ろしすぎたので、一気に他のホラー映画が観られるようになったのだが、もしかしたらこれも!
・今までにあった最大の修羅場 £61

87 :名無しさん@HOME:2012/10/04(木) 22:16:14.35 0
長いので分けました。
前編
ちょっと昔のこち亀に、両津と中川が入れ替わるって話があったの覚えてる人いる?
結局両津の策略で単に中川の立場を両津が奪っただけなんだけど、中川も両津の振りをするから『ワシも中川も両津?じゃあ中川はどこに行ったんだ?』って混乱するやつ。
30年ほど前にアレと似たような状態になったのが最大の修羅場。
学校の掃除の時間にうまく絞れてない雑巾で拭き掃除をしたらしく、水でびちゃびちゃになっていた廊下を歩いていた私。当時小学校低学年。
滑って転んで後頭部を強打して、「チクショー後で掃除担当だった奴に文句言ってやる」と思いながら立ち上がったら、背中からクラスメートのキャー!という叫び声が。
振り向くと廊下に真っ赤な水溜り。しかも妙に首筋が湿っぽい。
まさかこの赤いのって私の血かと思ったところで傷が痛みを自己主張し出して、ぎゃああぁぁぁ!という悲鳴が勝手に出てきた。
そのまま担任の先生の車で病院に運ばれて、病院に着くや否や数針縫われて包帯も巻いた。
傷自体はたいしたこと無いけど、怪我した場所が場所なので一応一晩だけ様子見ということで入院する事に。
親は包帯巻いた頃に真っ青な顔してやって来て、元気に挨拶したら泣かれました。
これが第一の修羅場。
さて入院中にふと思う。
先天後天合わせて、やれ喘息だ不整脈だ視力異常だと体のあちこちに病気と爆弾を抱えており、それらの治療の為に結構家計に負担を負わせている自覚のある七歳児。
病気と障害に、ついに怪我まで加えて三冠王となったか。
これはちょっと心を入れ替えて、いい子にならねば親に申し訳が立たぬ。そんな風に決意を新たにしながら病院のベッドで一晩眠りました。

88 :名無しさん@HOME:2012/10/04(木) 22:17:08.19 0
後編
午前中に先生から太鼓判を貰った私は、翌日昼に学校へ登校。
さてここから良い子になろうと、昨晩の決意も新たに日常生活に戻りました。
…が、良い子になった私の姿は周囲の目には『頭を打った衝撃で別人になった』と写ったらしく、その後しばらく偽者呼ばわりされる事に。
親も親で、頭ぶつけたら別人になるのかと本気で家族会議したり医者に相談に行ったりするし…。
いつもより字が綺麗なのは、丁寧に書いてるからです。
食べられなかったナスを食べているのは、努力の成果です。
いつもより成績が悪いのは……待て。何でこの前勉強したばかりのことが思い出せないんだ?
得意だった算数が全然出来なくなってました。跳び箱が飛べなくなってました。
あーこれは確かに何かあったのかもしれん。ほんとに私は偽者なのかもしれん。
でも怪我する前から全部記憶は繋がってるんだから、私は本物だ。本物だと思う。誰かそう言ってくれ。元の私は私じゃないのか!?
わたしはだれだ?
…と周囲からいじめられたり、哲学者ばりに自己について考えさせられたのが第二の修羅場。
とはいえ子供のする事ですし。
偽者認定をされたままの私も一ヶ月二ヶ月と毎日顔を合わせていれば『まぁこれはこれで』と改めてクラスメートと仲良くなりましたし、両親も私を拒絶することなく受け入れてくれましたし。
私も私で、釈然としない気持ちはありましたが周囲が認めてくれたのでまぁ今のままの私でいいのだろう、と立ち直って、悪ガキに戻りました。
結局この騒動は三ヶ月ほどで自然消滅しました。
アレから30年ほど経ちましたが、やっぱ私は今もニセモノのままなんだろうか。
今でも時折、ふと考えます。
長文お目汚し、失礼しました。

89 :名無しさん@HOME:2012/10/04(木) 22:20:29.41 O
むしろ「学校怪談」の蛭のエピソードが近いような

90 :名無しさん@HOME:2012/10/04(木) 22:26:49.92 0
算数、跳び箱は一時的なものだったんだろうか?

91 :87:2012/10/04(木) 22:48:31.79 0
反応ありがとうございます。
>>89
ちょっとストーリーを調べてみましたが、確かにこち亀のエピソードよりは
こっちの方が実体験に近いかもしれませんね。
いや流石に私も自分が蛭だとは思いたくありませんがww
>>90
算数の方はあの後取り戻しました。
元々パズル系の知育玩具は大好きだったので、むしろ『もう一度遊べるぞウヒョー!』と
バカみたいに遊びまくったところ返り咲いた、とでも申しましょうか。
一方で跳び箱は相変わらずダメなままでした。喘息もあって元々運動は得意ではなかったのですが、多分『失敗して怪我したらまたあの痛い思いするぞ』とそんな考えが頭の底にこびりついてしまったのかもしれませんね。
今もマラソンのような持久力系の運動は出来ますが、跳び箱や鉄棒のような器械体操(?)系の運動は
どうしても体が言うことを聞いてくれません。いや年齢のそれとは別に。