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紅茶とお菓子について書いているほっこりブログです

葬儀のやり方が不明

確かに修羅場だわ……
・今までにあった最大の修羅場 £59

159 :1/2:2012/09/23(日) 02:02:47.16 0
母方の祖母が亡くなったときが修羅場だった。
祖母は85歳の大往生。
亡くなる数秒前まで、かなりしっかりしてた。
法事関係は全部祖母が仕切っていたから、残された子供たちは
誰も段取りをしらなかった。(親戚じゅう、ここ10年ほど誰も死んでなかった。)
祖父(存命)のほうがずっと病院出たり入ったりをしてたので
祖父が亡くなったときにそういった段取りを皆に教えようとしていたんだろう。
だが祖母が先に亡くなってしまい、親戚たちは右往左往。
祖父は突然亡くなった祖母に呆然としていてまったく動けず。
お寺への連絡、役場への連絡から親戚の連絡先も、祖母が使っていた電話帳をひっくり返して発見。
田舎なので葬式は家でやるのだが、祭壇やお膳もあるはずなのに
納屋中ひっくり返しても見つからず。(終わってからひょっこり出てきたw
しかも亡くなったのが夕方だったことや、友引を挟んだことで
葬式が行われたのは亡くなって4日後だった。
ずっと在宅で裁縫の仕事をしていただけの祖母なので
告別式でも、それほど人は来ないだろうと思ったら(せいぜい80人ほど)、200人くらい来た。
葬儀会社の人もびっくりしていた。私たちもびっくりした。
続く

160 :2/2:2012/09/23(日) 02:18:19.28 0
亡くなってからお葬式まで連絡がいきわたる時間がじゅうぶんにあったにしても
自分たちが住んでいる家の土地しかもたない、ただの年金生活してる祖母に
なんでこんなに人が来るのかと思ったら
実は祖母、すごい有名人だった。地元的に。
祖母の子世代は皆地元から離れていたので全然知らなかったのだが
仕事を引退してからはしょっちゅう出歩き、あちこちで人と会い、話し、いたわり、暇つぶしに畑で作っていた野菜を通りすがりのあげたりしていた。
そんな風にお世話になった人たちが押し寄せてきて、小さな家の周りが、すごい人だかりになった。
そんな人たちは、祖母としか面識がないから、我々が会ってもさっぱりわからない。
けれど皆が涙を流して悼んでくれて、祖母の偉大さを思い知った。
修羅場だったのは葬式までの準備をした2日間。
忌引きの連絡を職場にした人は決まって「なんでそんな葬式が先なの?」
と聞かれ、いや暦の関係で…といちいち説明をしなければならず
何をしようとしても段取りがわからん、と行き詰まり
「ちょっと生き返って教えてくれてもいいのに」と皆口を揃えていたら
夏だったので家に置きっぱなしだった祖母の口から気泡が出てきて、「生き返った!?」(体内のガスが出てきただけ)と大騒ぎ。
誰もが数十年会っていなかった、遠方に嫁いだ祖母の妹(2歳下)も単身やってきて
あまりの瓜二つぶりに泣いてしまったり。
あと、まったく苦しまずに、すとんと逝ってしまったので
それを聞いたご近所の老人たちが「あやかりたい」と葬式前に拝みにきた。
「祖母の娘の旦那の兄弟の嫁の親」、という限りなく他人のおばあさんが
突然仕切ろうとしはじめて、「この辺の土地のやり方とは違う」と追い出されたり。
「祖母の弟の嫁の妹」という限りなく(ryのおばさんが、勝手に祖母のタンスをあけて
形見分けだと高価な着物を持って行こうとして皆に止められたり。
葬式が終わってやっと落ち着いたと思ったら、すぐ初七日で、またパニック。
親戚の誰もが身をもって葬式の段取りを覚えた1週間だった。