Hagex-day info

紅茶とお菓子について書いているほっこりブログです

噂の真相関連

「噂の真相」元編集長、名誉棄損で有罪確定へZAKZAK
「噂の真相」元編集長の有罪確定へ 名誉棄損事件 (朝日)
【マスコミ】「噂の真相」元編集長、執行猶予判決確定へ…名誉棄損事件(ニュー速+@2ch
岡留安則の「東京-沖縄-アジア」幻視行日記
丁度、『噂の真相』25年戦記 岡留 安則 (著)
を読んでいて裁判のドタバタぶりの所をよんでいたところに、今日の最高裁の判決。なんかタイミングいいなぁ。というけで、以下長文引用。興味を持った人は「『噂の真相』25年戦記」を購入しようね。あんまりチェックしていないので、誤字脱字が多いよ、きっと。

▼予期せぬ東京地検特捜部による公訴によって休刊を先延ばしに。
 ところが、予期せぬ事態がその後に勃発した。『朝日ジャーナル』に追悼メッセージを出した3年後の95年6月に、東京地検特捜部かち『噂の眞相』が名誉毀損罪で刑事起訴されたのだ。捜査開始はその1年前からだから、『朝ジャ』宣言から2年目にして日本最強の権力機関に狙われたということになる。2000年休刊宣言はおそらく先延ばしせざるを得ないような大事件だった。これは作家の和久峻三氏とマルチプランナーの西川りゅうじん氏が別友に名誉毀損で東京地検特捜部直告班に刑事告訴していたものを、併合して起訴するという前代未聞の言論刑事裁判である。しかも、これは検察批判を続けてきた『噂の眞相』を狙い撃ちしたことが明らかな検察の恣意的起訴だった。現在に至るまで東京地検特捜部による刑事訴追を受けたメディアは『噂の眞相』だけという事実を見ても、それがいかに異例の公訴劇だったかが分かるだろう。

 東京地検特捜部の直告班が年間どのくらいの名誉毀損の告訴を受理しているか『噂の眞相』が問い合わせても一切答えてくれなかった。この程度のことすら情報公開しない法務省の体質は、国民のための公僕という意識じたいがカケラもない傲慢さというしかない。そんな事情なので、こちらとしては、ある程度推定するしかないが、年問何十件、いや何百件もメディアに対する刑事告訴が受理されているはずなのである。にもかわらず、戦後、特捜部が発足して以来、起訴し雑誌メディアは後にも先にも『噂の眞相』の一件だけなのだ。検察、特に東京地検特捜部は大手マスコミにとって絶対的タブーの存在である。もし検察のスキャンダルや批判記事を書けば、司法記者クラブへの出入り禁止処分となり、疑獄.大型事件などの際に検察サイドの捜査情報を得られなくなるというウイークポイントがあるためだ。
 だが『噂の眞相』はこのマスコミ・タブーである検察批判を一貫して追求してきた。特に『噂の眞相』に対する捜査の陣頭指揮を執った当時の東京地検特捜部長宗像紀夫は、福島の政商・小針暦二(故人)に疑惑のりんご箱を贈られたとの記事を『噂の眞相』に書かれたことがあり、以前から個人的に恨みをもっていた(詳しく後章)。そのため、『噂の眞相』を最初から是が非でも起訴するという恣意的な捜査を行い、実際不当な起訴に持ち込むことに成功したのである。「巨悪を眠らせない正義の味方」「権力の腐敗を断罪する捜査機関」ーー、世間で、かつては、こんなふうにもてはやされてきた東京地検特捜部だが、『噂の眞相』が長年にわたって告発してきた特捜部の正体は世間が抱いているイメージとまつたく違い、時に私的感情や政治的思惑で公訴権という公的権力を行使するケースも多々ある権力機関だつたのである。

 この恣意的不当起訴により、『噂の眞相』は、検察との全面的な裁判闘争への突入を余儀なくされた。この負けられない裁判を闘うためにこちらもそれに対抗しうる弁護団を結成する必要があつた。そのため言論メディア界のオーソリティである清水英夫氏を弁護団長にした弁護士6人による弁護団を結成した。当繋からこうした裁判にかかる費用を捻出し続けるためにも、裁判のメドがつくまで雑誌を刊行し続ける必要に迫られたのである。在宅のまま起訴されたのは、編集発行人の筆者と記事を直接担当したKデスクの二人だった。そんなわけで、当初の目標だった2000年休刊の予定に赤信号がともってしまったのである。

 しかし、起訴された以上、『噂の眞相』が創刊以来行ってきた作家や文化人という公的なオピニオンリダーの立場にある人物に対する、読者の知る権利に応えるための言論活動を続けてきた編集理念を法廷でも主張していくつもりだった。記事じたいの真実性についても特捜部に起訴されるような案件だったとは到底思つていなかったし、そのほとんどについて法廷でも立証可能なものだと考えていた。仮にこの記事が起訴に値するとなれば、現在発売されているスキャンダリズムを指向している週刊誌記事のほとんどに適用される事態になる。特捜部が『噂の眞相』に対し、恣意的なみせしめの起訴に踏み切ったことは明らかであり、そのことを裁判所にも強くアピールしていけば、検察が恥をかかざるを得ないような良識ある判断が裁判所によって下されるものと信じて公判に臨んだ。
 ところが、公判が進むにつれ、検察だけではなく、裁判所さえも『噂の眞相』側の立証を妨害するような「裁検一体」としか思えない訴訟指揮をとり始めたのだ。それは初公判から約2年が経った97年11月10日の第21回公判における検察側の突然の方針変更が発端だった。初公判の起訴状朗読から求釈明に至るまで検察側は「『噂の眞相』は虚偽の事実を執筆掲載した」として、記事じたいに誤りがありそれを検察側が証明していくと明言していた。にもかかわらず、これを「すべて撤回して今後とも立証は一切行わない」といい出したのだ。法廷でのこれまでのやりとりをいとも簡単に反故にするという、法廷に対する侮辱とも思える検察のやり口に6人の弁護団ともども唖然とするしかなかった。そもそも起訴じたいがデッチ上げといってもいいやり口なのに、公判までも手抜きですまそうという検察の権力を笠に着たゴーマンなやり口に怒りがこみあげた。裁判じたいに幻想を持った自分の甘さに対しても、だ。
 しかも、この突然の方針変更に対し『噂の眞相』弁護団がその理由を検察側に質しても「特に説明の必要はない」と木で鼻を括ったような答えだった。これを分かりやすくいえば、殺人で起訴された事件で、検察が殺人行為の事実関係の立証をせず、殺人者とされた側に自分で無罪を立証しろというようなタグイの話なのだ。さらに弁護団が「検察と『噂の眞相』のどちらが立証責任を持つのか」と申し立てても、裁判長まで「趣旨がよく分からない」などとトボける始末なのだ。検察側の無責任な対応にまっとうな疑義すら呈さない問題ありの裁判官でも、あるいは、破廉恥事件を起こしたり憲法違反の超タカ派発言を行うような非常識な人問であっても、法廷の場においては絶対不可侵の存在とされているのだ。到底納得できる話ではないがこれが司法の偽らざる現実なのだ。

▼検察側の立証放棄に裁判所が追随した「裁検一体」の恐るべき実態。
 結局、検察側のみえ透いた虚言はなんら問題にされることなく、裁判の方は何事もなかったかのように続行されたのである。この時点までの公判は、告訴人である和久氏とその5番目の妻、そして西川りゅうじん氏の事件当事者3人だけの被害者としての感情証言しか行われていない。これらの証言は「記事によって傷つけられた」「記事は事実無根」などと何の根拠もないままに好き勝手に自分の主張を述べたにすぎない。裁判というのは『噂の眞相』がいかに虚偽の事実を書いたかを、検察側がキチンと立証してこそ裁判官に有罪を求刑できるはずである。どう考えても検察の完全なる立証放棄である。おそらく、法廷に呼んで『噂の眞相』の有罪を立証してくれるような証人など検察側にはいなかったということだろう。検察の突然の不可解な立証放棄の理由はそれくらいしか考えられないからだ。
 そのため、『噂の眞相』側がやむなく事実を立証せざるを得ないと弁護方針を切りかえた。しかし・重要人物の証人申請が裁判所によって次々と却下されてしまう。何よりも個人的怨みで起訴を進めた宗像紀夫特捜部長(当時)の証人出廷を求めたが、裁判所は歯牙にもかけずに拒否さらに、この裁判ででは最重要証人といえる『噂の眞相』記事の情報提供者だった和久氏の4番目の妻と、西川氏が愛人をつくったことが離婚の引き金になつた前妻の二人がそろって精神的理由で出廷困難と判断されたのである。これは法廷における真実証明の上では、大きなマイナスとなった。司法の悪しき体質は実際に裁判を経験しないとよくわからないだろう。しかし、体験者としていえば・現実の司法は検察と裁判所が一体化して国家権力の威信とメンツを相互に補完しあい、ただただ自分たちの権益を守つているだけの存在にしか見えないのが現実なのだ。
 さらに、こうした司法の現場をウオッチして権力の行き過ぎをチエックすべく最前線にいるはずの司法記者クラブの裁判担当記者たちもヤル気がなさすぎる。裁判所や検察に部屋を提供されて日常的に出入りしているのだから、そもそも存在じたいからして癒着関係下におかれているせいもあるだろう。こうした実態に疑問すら持たないほど感性が麻痺しているのだから権力の御用記者といわれてもしかたがないだろう。

 結局、『噂の眞相』は検察だけでなく、裁判所の横暴という二大権力機関とも闘わなくてはならなくなつたのである。前述したように、「検察は立証を放棄したのか」という弁護団の質問に対し「趣旨がわからない」とトポけた大渕敏和裁判に至って、『噂の真相』公判中、何度も居眠りを繰り返し、鼾までかいていた人物。度重なる居眠りに『噂の眞相』弁護団が抗議したが、「病気のため薬を飲んで言その副作用」との回答だったが、職務も支障があるほどの強い薬を飲まなければならないとすれば、そもそも裁判長という重責が務まるのか疑問である。人の人生を左右するほどの強大な権力と社会的責務を持っ立場の裁判官なのである。こんな裁判官に対しては法廷侮辱罪を問うようなシステムが急務ではないのかということを実感させられた。もっともこの裁判長は他の法廷でも居眠りが目立っており、そのことを作家の佐野眞一氏に『新潮45』の「東電OL殺人事件」裁判ルポで暴露されたこともあり、結果的に都下・八王子支部に移動になった。気の毒ではあるが、必死になって真実を証明する被告人側にしてみれぱ当然の措置というのが、率直な気持ちだろう。

 そして、02年3月、筆者に下された東京地裁の判決にしても予想以上にひどい内容だった。時に声のトーンがワンオクターブ高くなりキンキン声になる木口信之裁判長による判決趣旨は「記事の一部でも私生活の行状(プライバシー)を書けば、記事全体が名誉毀損にあたる」というとても冷静とは思えないヒステリックで感情的な認定で、懲役8ヵ月執行猶予2年という有罪判決だった(ちなみにKデスクは懲役6ヵ月、執行猶予2年)。この判決までには3人の裁判長が交代したが、足掛け8年にわたる裁判で、10人以上の証人を出して事実の証明は95バーセント以上達成したつもりだが、この木口判決においては記事が真実かどうかなど何の関係もなかったのである。いかに憲法で保障された言論・表現の自由が重要かということで、作家の船戸与一氏、文芸評論家の坪内祐三氏、同志社大学教授の浅野健一氏といった言論.表現やジャーナリズムにかかわる人たちにも法廷で証言してもらったが、裁判長の頭の中からはその部分がスッポリ抜け落ちていたのである。要するに憲法で保障された言論.表現の自由という、健全な社会にとっては最重要ともいえるメディアの社会的機能など、この裁判長の頭の中には一切なく、単に破廉恥な刑事犯を裁くような低レベルの目線の判決文しか書けなかったのである。

 もちろん『噂の眞相』は即日控訴の手続をとったが、結局、東京高等裁判所は『噂の眞相』側が請求した証人申講もすべて却下し、何の審理もないまま地裁判決から1年後、一審判決を支持して控訴棄却をいいわたした。現在、最高裁に上告中だが、日本の裁判には大局的な憲法判断もなく、法の正義も公正さも失われている現状をみれば、多くは期待できないというのが正直な感想だ。宗像紀夫氏の個人的な怨みで狙い撃ちされみせしめ的に起訴されたという特殊事情があったとはいえ、『噂の眞相』におけるジャーナリズムの手法じたいが裁検一体の司法権力によって否定され、最終的に刑事罰を科せられるとなれば、もはやこの国には言論.表現の自由など存在しないといわざるを得ないのではないか。

 とにかく日本の裁判は長い。実際、この裁判の一審判決が出たのは起訴されて公判が開始されてから約7年後の2002年、高裁判決までにはさらに1年を費やしている。休刊のメドとしていた2000年を迎えた段階で、裁判の長期化を考慮した上で、少なくとも2004年まで休刊予定を延期せざるを得ないと判断した根拠でもある。すでに書いてきたとおり、こうした裁判経過を『噂の眞相』の誌面で読者に報告する必要性があるということと、裁判と並行しながら恣意的起訴を平然と仕掛けてきた検察の腐敗体質を徹底的に批判し記事化していかなければならないと判断したこともある。
 実際、起訴された直後、『噂の眞相』不当起訴の張本人である宗像紀夫氏がパチンコ業者からベトナム旅行接待などを受けている事実をスクープしたし、その後も検察幹部総ぐるみの調査活動費の不正流用をスッ破抜いたり、当時検察ナンバー2にして次期検事総長が確定的だった東京高検検事長の則定衛氏を辞任に追い込んだ女性スキャンダルなどを次々に告発し、否が応でも検察と全面対決せざるを得なくなったのである。これは反権力の信念や惰念を生み出すのは往々にして権力の理不尽さや横暴への怒りが動機になっていることの実例になるかもしれない(詳しくは第六章で紹介)。
 現在、裁判は最高裁に持ち込まれており、こちらとしては今や判決をひたすら待つだけの段階となった。裁判じたいはもはやヤマを越えたとの判断で、2000年の予定から4年遅れで休刊を決め、休刊に向けたカウントダウンを開始したのである。
第三章 休刊宣言騒動裏事情編 98〜107ページ