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紅茶とお菓子について書いているほっこりブログです

病院の前で衝撃的なシーン

映画・ドラマのワンシーンのようだ。
・今まで生きてきて凄く衝撃的だった体験 その6

386 :名無しさん@おーぷん:2015/03/12(木)00:48:38 ID:dlJ
自分に起きたことではないのだけど。
持病が悪化して入院することになった。
事前の診察と手続きを済ませ、帰ろうと病院の玄関でバス待ちをしていたら、どかっと言う音が。
見ると救急入り口の方で、止まっていた車にタクシーが接触したらしい。
タクシーの運転手さんがよろよろと出てきて
「あの…お客さんが…車いすを…」とものすごいオロオロしてた。
ふとタクシーを見ると、後部座席にいた女性がこちらに背を向けて立ち上がってる。
しかも下半身丸出し。
何が起きたんだとそこにいた人みんながしーんとなってたら、
赤子取り上げてた。
隣にいたおばちゃんが ( ゚д゚) て顔になってたけど、私も多分同じ顔してたと思う。
「…生まれたのかしら」
「…生まれたみたいですね」
その後警備員の人たちがタクシーを囲むように立って周りの目から見えないようにしたり
やっとストレッチャーが到着したりしたので私もバスに乗った。
あの時生まれた赤子が元気に育っていて欲しいと思う。

突然仕事場から消えた男

これは迷惑。
・今まで生きてきて凄く衝撃的だった体験 その6

374 :名無しさん@おーぷん:2015/03/10(火)23:37:34 ID:Iat
20年ほど前の話。
学生の頃港で働いていた。桟橋で作業したり、事務所で船の問い合わせの電話とったり。
夏休みはほぼ毎日、日勤も夜勤もやっていたほど。なのでそこの社員にもけっこうかわいがられた。
40代半ばったと思うけど社員の一人の、Aさんにもいろいろ面倒見てもらった覚えがあった。
その夏休みの連日のバイト中、夜の勤務に出たらちょっと騒ぎになっていた。
どうやらAさんがいなくなったらしい。昼間桟橋で作業していたを同僚が見たのが最後。
作業で使っていた道具は途中でほったらかし。もしかしたら海に落ちたんじゃないか、と。
次の日から数日くらいにわたってダイバーも来て捜索していた。
直前まで特に変わった様子もなく、事件に巻き込まれた可能性もあるってことで警察も来てた。
簡単にだけど、変わったことはないかというようなことは聞かれた覚えもある。
1週間くらいして、Aさんのお姉さんという方がやってきた。
「ご迷惑おかけして申し訳ございません」ということを会社の人にわざわざ言いに来たらしい。
最初に応対したのが自分だったのだけど、制服のYシャツじゃなくてバイト用のTシャツを着ているのに
「申し訳なくて・・」ということをいきなり言い出すほど憔悴しきっていていた。
で、さらに1週間くらいしてAさんは発見された。
熱海で。
なんと不倫関係にあった既婚女性と駆け落ちしたらしい(Aさんは独身)。
また聞きだったので詳しくはわからなかったけど、桟橋で作業していたAさんのところへ不倫相手いきなり登場。
付き合ったり別れたりを繰り返していた相手らしい。そこでなにを言ったのかわからないけど、そのまま二人で逃亡。熱海あたりを転々としていたんだと。
お金もなくなってきて件のお姉さんに連絡をとったところで発覚。
Aさんはそのまま懲戒解雇。お姉さんは本当にかわいそうなくらいに会社の人に謝っていたらしい。
人のいいオッサンのAさんが、まさかそんなドロドロの不倫をしているというのも衝撃的だった。
というか、半月もみんなで本気で心配もしたしいろんな人に迷惑をかけてまで逃げる意味なんてあるんかい、と憤りもあったなあ。

鉄のハートを持った娘

うむむーん
・今まで生きてきて凄く衝撃的だった体験 その6

362 :名無しさん@おーぷん:2015/03/09(月)17:50:19 ID:E7x
子どもの親離れならぬ、じー(おじいちゃん)離れを見たのが衝撃だった
そこからは衝撃の連続
うちは私も父も土日も忙しく、頻繁に別居してるじーに預けてた
なので娘はじーにべったりのおじいちゃんっ子
金曜の夜になると繋がるまでじーに電話して迎えに来てもらって日曜になるとぐずりながら帰ってくる
週末はずーっとそう
お盆休みやゴールデンウィーク等の長期休暇もずーっとじーの家
「じーがね、じーがね」とそんな話ばかり
それが小4になったころかな、ぱたりとそれがなくなった
金曜になると癖のように電話の前にいくんだけど、電話をじーっと見つめて、「あれ?なにするんだっけ」と首をかしげて戻る、とかそんなことしてた
気になってある時「最近じーに電話しないのね」と言うと、「うーん」と本人も自分の変化に戸惑っていた
そしてじー離れと同時に友達と頻繁に遊ぶようになった
友達と休日に遊ぶのが楽しいと思ったのは初めてと言ってたのも衝撃だった
そして小学生の頃はあれだけ友達と毎日遊び回っていたのに、中学生になってからパタリとなくなった
友達はいるみたいだけど、修学旅行で同じ班になるんだーとかそんな話だけで、休日に遊ぶようなことは一度もなかった
高校生になったら友達も極端に減ったみたいで、中学が同じだった3人と、その友達経由で仲良くなった2人の計5人、あとはクラスメートの名前も覚えてないくらいだった
そして大学、高校からの友達も誰一人いなくなった大学では、文字通りぼっち貫いてたようだ
ニュースで便所飯が話題になってる前で、昼食を1人で食べるためには学食で早々に席取りして競争に勝たねばならぬ、穴場は15分前の窓際カウンター席
とか力説してくれてカーチャンは娘の鋼のハートに少し安心した
単位も年間60単位で最大数とっていて、秀が並んでたからそこも安心してた
唯一心配だったのが、この子一生シングルなんじゃってことだけど、ある日ひょっこり彼氏を連れてきた
しかも堅実に行きてきたはずの娘が、どこの子とも解らない彼氏連れて開口一番
「親が亡くなって家がないので家においてください」
おっおう、としか言えなかったよ
私もぶっ飛んでたと思うけど、震災で両親亡くなったのは本当だったし、親代わりとして面倒を見た
二人共社会に巣立って今度正式に入籍するとのこと
結婚式はしないのかと言ったら、彼氏は友達いるけど私はいないし
家族だけになると彼氏が誰も呼べなくなるよー
とサラっと言われた
カーチャン、あんたのドレス姿は見たいよ
娘の中で何が起こったのか、今でも子供の成長の神秘に驚かされる

突然の落雷

まあ、ほとんどの落雷は突然だけど。
・今まで生きてきて凄く衝撃的だった体験 その6

358 :名無しさん@おーぷん :2015/03/09(月)13:57:39 ID:yKy
 目と鼻の先に雷が落ちた。
もう何十年も前のこと、雷雨のあとすぐに自転車にのって遊びに出かけた
当時新しく道路の高架を作り始めの場所があってそこの近くに行ったんだ。
雨上がり直後でまだ黒々とした雲が空一面に広がっててかろうじて遠くの方に
青空が見えてて、あーまた一雨来るかなーと思ってたら高架のど真ん中に
どーんと雷が落ちた。
そのときは自転車を漕いでる途中だったから足ついてなかったけどついてたら
感電してたかもしれない。
今でも雷は怖いし、雷雨の後は少なくとも一時間くらいしないと外出はしない。
仕事中に鳴りはじめたら窓の方は向かないようにしてる。

359 :名無しさん@おーぷん :2015/03/09(月)14:29:41 ID:31O
>>358
それは怖い…
外で雷が鳴った時は車の中が一番安全らしいよ。
うちはまだゲリラ豪雨という言葉が完成する直前くらいに、お風呂のリモコンが壊れた。
うちは浴室のリモコンもキッチンのリモコンも電源が入らなくなった。
5軒並んでいる家の中でうちが一番手前で、おとなりとその隣まではお風呂のリモコンが故障。
とりあえず修理を呼んだら、お風呂のリモコンは交換。とりあえずキッチンのリモコンだけ直してもらった。
なんでお風呂のがダメだったかと言うと、テレビがついていたから。
そしてなぜ壊れたかというと、落雷による感電。
家電って漏電?を防ぐためにワイヤーがピロっと下がっているじゃない。
あれがお風呂のボイラーの横についてて、それが落雷の電気を拾ってしまった。
でもリモコンは壁に据え付けられているものなので、住宅の一部だそうで、火災保険が使えた。
テレビの液晶に影が出てしまっていたので、ラッキーだった。
でも地デジ化直前だったので、地デジ対応のテレビにしたらいくら?ときいたら25万だって…

号泣する祖父

こりゃ、燃えるな! と思っていたら燃えていた。
・今まで生きてきて凄く衝撃的だった体験 その6

366 :名無しさん@おーぷん :2015/03/10(火)11:24:07 ID:niX
もうずいぶん前だけど、親類のお祝いの会に祖父と父を迎えに行った。
その帰り道で葬儀場の前で祖父が絶叫して、駆け込んだ。
お祝いに出たので、葬儀に出るなんて場違いも甚だしい服装だったのに、よぼよぼのくせにものすごい勢いで行っちゃって…。
その祖父の元気っぷりにも驚いたんだけど、その仏様と祖父の関係が衝撃だった。
うちの祖父は朝鮮生まれ。「大地の子」って中国残留孤児のドラマがあるんだけど
それを見ていた時に祖父から、日本人将校の家の子守に雇われていたのだけれど
ご主人が戦死して帰国の際に頼み込んで一緒に連れて来てもらったと聞いていた。
住んでいたのも今の北朝鮮の地域だったので、危なかった!!と思ってた。
てっきり祖父は開拓団の子供だと思っていたんだけど、実は朝鮮人の子供だった。
つまり帰化した在日朝鮮人。
その祖父が飛び込んだ葬儀は未亡人になった将校さんの奥様。
祖父は全く話にならない程泣いていて、その泣き方はまさに朝鮮人。
祖母が亡くなった時は男泣きだったんだけどね…。
それで祖父に代わって父が喪主の男性に説明したんだけど、まだ若い方で話が通じない。
そこに喪主の伯母さんがやって来て、祖父が名乗ると(朝鮮名だった)
「○○ちゃんなの?」って。祖父が子守していたお子さんだった。
三人いたお子さんのうち下の二人はなくなっていて、喪主は長男さんの息子さん。
末の次男さんは戦後すぐ亡くなったそうです。それにも祖父は号泣。
後日、ご自宅に呼んでくださって(平服のまま葬儀に出させていただいた)お仏壇に手を合わせた。
実は伯母さんも幼くて当時の事はあまり覚えていなかった。
奥さまと同居されていた長男のお嫁さんと娘さん(喪主の姉)は奥さまからポツポツと
話を聞いていたので、空襲ではぐれてから疎遠になってしまった事は知っていた。
当時朝鮮人だとわかると八つ当たり的に暴行されたり虐待されたりひどいと殺されたりする。
それまでは奥さまが日本名をつけて庇ってくれたけれど、奥さまは安否もわからない状況。
それで、終戦後しばらくの間、祖父は戦争孤児として暮らしていた。
生活が落ち着いて奥様達を探したけれど見つけられなかったそうです。
その後正式に日本に帰化して日本人の祖母と結婚。
身一つから商いを始めて、縁故も何もなく大変な苦労をしたそうです。
今は私の弟の代なんだけど、大儲けとは言わないけどそこそこの利益を上げて経営は順調。
祖父は帰国する際、未亡人で自分の暮らしも不安だらけでとても祖父まで連れていけないと
断る奥さまに無理やり頼み込んで連れて来てもらったそうです。
帰国後、奥さまの実家で奉公していたんだけれど、当時戦争未亡人の手当は厚かったそうで
奥さまはすぐに迎えに来てくれて、家族のように迎え入れてくれたそうです。
お互い空襲で亡くなったとばかり思っていたのに、戦後60年も経って葬儀で偶然再会出来たなんて奇跡だよね。
その後祖父は奥さまの命日にお花を送り続け、数年前に亡くなってからは父が代わりに送っている。
日本に来てから、大変な苦労をした。
苦労して苦労して、やっと今の生活を手に入れたけど、この苦労は奥さまが日本へ連れて来てくれなければ
味わう事も出来なかった。
どれだけ感謝してもしきれない。
祖父はよく父にそういっていたそうです。
しかし祖父が朝鮮人だったとはなぁ…。
母も日本人だし、私の戸籍には何の記載もなくてわかんなかったよ・・・。

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お前のせいだ

人のせいにして、罪を軽くしたかったのか。
・今までにあった最大の修羅場を語るスレ4

408 :名無しさん@おーぷん :2015/03/09(月)21:07:27 ID:jnz
数年前に旦那の運転で事故して骨折したので、保育士だった私は完治するまで休職していたことがある。
旦那はとにかく事故を私のせいだと責めて、家事も育児も骨折前と同レベルでこなせと要求してきた。
ちなみに事故というのは、庭に車を止めるから車から降りて後ろから誘導してくれと言われたので、言う通りにしたら物凄い勢いでバックしてきて吹っ飛ばされた。
私の誘導の仕方が悪いといつまでも責めてきたよ。
誘導の仕方が悪いなら、軌道がずれたり壁にこすったりすると思う。アクセルのふみ具合をミスって勢いよくぶつかってくるのは私のせいなの?と聞いたら逆ギレ。
それでも私の誘導ミスの可能性があるから、その事は謝ったけど、旦那からの謝罪はなし。
その上家事も育児も手伝わない宣言をして、何故か息子が別の男の子供だと子供本人に言ったので離婚を決意した。(正真正銘旦那の子。私の男性経験は旦那のみ)

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急に倒れて前歯が折れた

母ちゃん……(涙)
・今までにあった最大の修羅場を語るスレ4

419 :名無しさん@おーぷん:2015/03/10(火)11:49:28 ID:fNb
受験一週間前に前歯が折れた
唐突な便意に襲われて立ち上がってトイレに行こうとすると急に目の前が真っ暗になり頭がぐるんぐるんして、顔面からぶっ倒れたら口の中からころんと前歯の破片がでてきた。
でも「まぁ私別にアイドルじゃないし前歯くらい折れても平気だろ」と思いそのままトイレに行こうとするも方向転換がうまく行かずリビングに出てしまう。
家族に「前歯折れちゃったよーあはは」と軽く報告を済ましトイレに向かおうとするもまたくらくらして方向転換がうまく行かず妹の部屋のドアにバグったようにガンガンぶち当たらながら「トイレ…トイレ…」と呻いていた。
家族達が受験勉強のし過ぎで頭おかしくなったと救急車を呼ばれるところで第一の修羅場。
そんな私を見て母が卒倒、ここで第二の修羅場。
その後段々意識がはっきりしてきて救急車がつく頃にはいつも通り、ただ顔面から倒れたので頭を打ってないか検査するため病院へ。気分健常者なのにサイレン鳴らして救急車乗ってるのが申し訳なくてプチ修羅場。
病院では点滴を打ってもらったけれども看護師さんに「早く帰りたいですよねー、じゃーこればーっと流しちゃいますね、本当はダメなんですけど」と言われて点滴を一気に流されたのが修羅場ではないけど衝撃的だった。
翌日折れた前歯が超痛い、なにやら神経に雑菌が入ったらしい。歯医者に行って神経抜く、超痛い、年甲斐も無く声を上げる娘に母また卒倒しかける。虫歯治療の痛さが分からなかったけどこういうことなのね、少し歯医者がトラウマになる。これが第三の修羅場。
その後別の歯医者に行くと神経ちゃんと抜けきれてなかったらしく、また神経抜く、痛い、プチ修羅場。
折れた前歯は虫歯を治す時の詰め物のようなもので形を整えるらしい。
「まぁ差し歯みたいなもんですよ」と歯医者さん。18歳で差し歯という称号は嫌だったので確認をとる。
「でも、差し歯ではないんですね」
「いえ、ほぼ差し歯と言って大丈夫です」
ほぼ差し歯だった。18歳にて差し歯。SSB18。これが第四の修羅場。
まぁその後は受験も成功したし、差し歯もほぼ分からないくらいのクオリティだし万々歳。この話も友達に笑い話として大いに受けたので結構結構。
ただし、私を心配して2回も倒れた母には、私が受験勉強のし過ぎで倒れたのではなく、ストーブの効いた部屋で寝っ転がってスマホでエロ画像見てて血の巡りが悪くなってぶっ倒れたことは死ぬまで黙っておこうと思う。
お母さん心配かけてごめんなさい。

子供はダウン症だった

いやー、これは胸くそエピソードですわ。そしてIDが凄い。
・今までにあった修羅場を語れ【その8】

725 :名無しさん@おーぷん :2015/03/11(水)12:56:26 ID:aaa
友人夫婦が妊娠したんだけど、ダウン症判明。羊水検査でもアウトでした。
友人は育てる自身が無いからおろしたいと言っていたのだけど、旦那さんがそれを許さなかった。
夫婦にとっては待望の第一子だったのでフィーバーしていたみたい。何度もおろすおろさないでぶつかって、とうとう友人が
そんなに言うなら産む。ただし私は一切関わらない。離婚してシングルファザーになってこの子を育てて。私は養育費も払わないから!と言っちゃったみたい。
旦那は後に引けなくなって安請け合い。ずーっと友人を冷酷だの人●しだの罵ってたみたい。
そしていざ産んで、さあ離婚!ってときに旦那が親権放棄。やっぱりダウン症は無理無理イヤイヤと断固拒否。
話し合いのときに念書を書かせていたので、逃げられないよ~と旦那を追い詰めたところで旦那がおおあばれ。
完全にキチガイだったらしい。
もう敵も味方も罵るロボットみたいになっちゃって、これでは子供を育てられないと親権が友人に。
友人は自ら進んで親権取ったよ。子供に情が湧いちゃったんだって。そのまま10年育てたけど子供は心臓の病気で亡くなった。
通夜の時に旦那さん、また友人を罵ってた。人●しって。私もひとこと言ってやろうと思ったけど止められた。
子供が生まれたときの旦那キチガイは演技で、その後も普通に暮らして養育費は旦那両親の金だってきいたときは自分の事ではないのに怒りが止まらなかった。
友人は知ってたみたいだけど。

価格.comカメラ板に14年間で10万件書き込みした男

Yahoo!知恵袋に9000件のコピペ質問をする狂気の男」に続いて、インターネットの闇シリーズです。

価格.comのカメラ板といえば、ソニー信者、ニコン信者、キヤノン信者が日夜バトルを繰り広げ、初心者が相談にくればコメントが殺到して相談者は混乱し、ユーザーが作品をアップしては褒めたり貶したりと、とても騒がしい場所であります。

そんな魔物たちが蠢くネットの殿堂において活躍しているのが、今回の主人公であるコテハンの「じじかめ」氏です。

彼は、2002年に価格.comのカメラクチコミ掲示板にデビュー。以来14年間、カメラクチコミ掲示板に書き込みを続け、2002年7月14日から今日に至るまでほぼ毎日書き込みを行い、10万件以上の投稿を行っています
じじかめ氏の書き込みは、文字量も少なく、情報もあまりなく、書き込み数だけ多いため、カメラクチコミ掲示板での評判はよろしくありません。Google先生のサジェスチョンもいきなりこれだし。

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